中山道は、河渡(ごうど)の宿場を越えると、木曽三川の2つ目の川、長良川を渡ります。そして、岐阜の城下から少し離れた加納宿を通過して、犬山城を望む鵜沼(うぬま)の宿場へ。
加納宿から鵜沼宿は17Kmの長丁場。今回は、途中の各務原*1まで進みます。
岐阜の街
長良川に架かる河渡橋を渡って、岐阜の街中に入っていきます。*2河渡橋は立派な橋で、岐阜市の中心地に向かう主要な幹線が走っています。
橋を渡ると、少し左方向に進み、堤の坂を下って、町の中に入り込む中山道へ。ここからは、周囲は街中の住宅地。ところどころに商店なども見かける中、街道だけが昔からの曲線を描いて延びていきます。
町中に入ってしばらく進むと、大勢の人で賑わう場所がありました。その角には、出店なども出されていて、お茶のサービスの提供も。よく見ると、「鍋島弘法」という案内板がありました。
あまりの人の多さに驚きながら、少しだけ寄り道をして、その弘法大師のお寺をお参りさせていただきました。*3
鍋島弘法を出ると、道は左右二股に分かれます。中山道は右方向。相変わらず、町の中の街道です。
ところどころで、車道中心の道路に出くわしますが、道なりにどんどん進みます。途中、JR東海道本線の高架下を抜けて左に折れると、JR岐阜駅前にそびえる高層のビルが見えてきます。
53番加納宿
岐阜駅が近づき、幾つものビルが近づいてくると、加納宿に到着です。この宿場は、岐阜駅の南、市の中心街からは線路を挟んで反対側。駅から150mほどのところに位置しています。
長良川の手前にある、河渡の宿場から6Km。この日の朝、東赤坂駅を出発して17Kmの道のりとなりました。私たちは、岐阜の市内で宿をとり、次の日早朝、各務原に向けて再出発です。
加納宿は駅に近く、岐阜の市街地の中にあります。今はもう、宿場の面影はほとんどありません。それでも、道案内や土色の舗装が完全で、この色の歩道を進んでいくと、間違いなく中山道をたどれるようになっています。
特に、加納宿の後半は、何故か街道は屈曲を繰り返し、複雑な道。特殊な舗装の有難さを実感することができました。
※加納宿。
新加納へ
加納宿を出ると、中山道は、ほぼ真っ直ぐに東に向かいます。道中のほとんどは、左右とも、住宅が軒を連ねています。
途中からは、左手に、名鉄の軌道と、その向こうにはJR高山線が見渡せます。街道は、最終的に2つの線路に最接近し、踏切をかすめるような感覚で延びていきます。その後、少しの間線路沿いを歩き、緩やかな上り坂を上がっていくと、新加納の町に入ります。
※新加納の様子。
新加納は、宿場町ではありませんが、少しその面影が見受けられるところです。案内板にもあるように、加納宿と、次の鵜沼宿の間は17Kmほどの間隔があるため、その間の休憩所のような役割を果たしていたとのこと。こうしたところは、間の宿(あいのしゅく)と呼ばれていて、中山道をつなぐための重要な役割を果たしていたと思われます。*4
※新加納の案内板。
各務原へ
新加納を出ると、さらに名鉄線と並行して、整備された道路を進みます。途中には、大きな公園や店舗なども見かけます。車の往来も多く、各務原の市庁舎もこの道路沿いにありました。
さらに進むと、国道21号です。垂井の宿場の入口で、この国道と離れてから、再び各務原で合流することになりました。少し国道を歩くと、左に大きな工場が見えてきます。川崎重工の工場のようで、その大きさに驚かされます。
その後国道は、名鉄の線路をまたぐため、高架になっています。中山道もその高架を渡り、さらに東へと向かいます。
※名鉄線を越える国道21号の高架。この階段を上って国道沿いに進むことに。
国道に架かる高架を越えると、名鉄は右手の方向に。そこには、名鉄三柿野駅。この駅を右に見て、国道の歩道を東に向かいます。
左手からは、名鉄に替わって、JR高山線が近づいてきます。そして、その向こうには、少しずつ山が近づく感じです。この辺りは、濃尾平野の北の端。この先にある鵜沼の宿場は、平野の隅に佇んでいます。
国道のせわしない道を歩んで行くと、JR高山線の各務ヶ原駅に到着です。今回の行程はここで終了。加納宿からは14Kmほどの道のりでした。
この続きは、次回。各務ヶ原駅から鵜沼宿、そして、木曽三川の最後の川、木曽川に沿って太田宿へと向かいます。