旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ9・・・中山道、奈良井宿から塩尻へ

木曽路から信濃路へ

 

 鳥居峠木曽川と別れ、良井宿から先は、奈良井川に沿って進みます。川の流れる方向は、今までと正反対、進行方向と同じです。

 奈良井宿の次の宿場、贄川宿を過ぎると、中山道木曽路を抜けて信濃の国に。次第に山が開け、塩尻の町が近づきます。

 

 間の宿(あいのしゅく)平沢

 朝8時頃、奈良井宿を出発し、33番贄川宿(にえかわじゅく)を目指します。贄川宿木曽路最後の宿場町。いよいよ木曽路の終わりに近づきます。

 奈良井宿を出ると、すぐ右手に奈良井駅があります。その後、左手に立派な漆器の会社の建物や民家を見ながら、緩やかな上り坂を進みます。ほどなく坂は下りに。そして、緩く右に曲がるカーブです。中央線の踏切を渡り、奈良井川を越えて、平沢の町へと入って行きます。

 平沢では、途中、奈良井川沿いの道と集落内に入って行く道に分かれます。ここは、集落内の道が中山道です。

 

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※間の宿の平沢を通る中山道

 

 平沢は、正規の宿場町ではありません。しかし、町の様子は、ほぼ完成された宿場町の様相です。このような、宿場と宿場の間の集落で、宿場のような機能*1を持ったところは、”間の宿”(あいのしゅく)と呼ばれています。

 これまでも、間の宿は幾つか通ってきましたが、この後、信濃路の26番芦田宿を越えたところにある茂田井(もたい)とともに、この平沢は、間の宿の面影を色濃く残しています。

 

 平沢の迫力

 平沢の町は、間の宿の面影をよく残しているだけではなく、漆器の町の迫力も感じる町構えです。街道沿いには漆器のお店や会社などが連なり、所どころにそれこそ立派な屋敷が残っています。

 木曽の山の中で、一大産業が発展したという印象です。知る人ぞ知る町なのでしょうが、中山道を歩いてきた私たちにとって、驚きの町でもありました。

 

 贄川宿

 平沢を越えると”道の駅木曽ならかわ”が見えてきます。中山道は、この施設の裏道を通ります。その後国道19号の歩道をしばらく歩き、途中、旧道にも入りながら進みます。国道の歩道がない所には、下の写真のような取り付けの歩道も設置されています。

 写真の坂道を下ると、右手が贄川宿です。国道から中央線の線路を越えて宿場に入ります。宿場町は、今は、かつての面影はほとんど見られません。ただ、町のはずれにある関所跡が、わずかに街道の名残を伝えています。

 中山道は、関所から戻って、国道19号へ。間違って関所前の道を進むと途中で道がなくなります。*2

 

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※左、国道に取り付けられた歩道。中、贄川宿。右、贄川の関所跡。

 

 木曽路の終わり

 贄川宿を出て少し歩くと、贄川駅です。その後、国道の歩道や旧道を交互に進みます。やがて、国道の西側の歩道を歩いていると、「是より南 木曽路」の石碑が。いよいよ木曽路が終わり、信濃の国に入ります。

 島崎藤村の筆による、「是より北 木曽路」の石碑を通ったのは、44番落合宿と43番馬籠宿の間、新茶屋と呼ばれる所です。落合宿を含めて、木曽路11宿。私たちは、足掛け8日をかけて踏破することができました。

 

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※左、贄川駅前。右、「是より南 木曽路」の石碑。

 

 信濃路に入っても、しばらく国道を進みます。そして旧道に入ると、贄川駅の次の駅、日出塩駅です。小さな駅で、日出塩の町も目立ったものはありません。ただこの駅は、何作目かの、”男はつらいよ”に登場した駅のはず。信濃路の空気を感じて歩きます。

 

 本山宿

 国道の歩道を進んでいくと、本山宿(もとやまじゅく)の看板が見えてきました。国道から左にそれて32番本山宿に入ります。この宿場は、道幅は広く、ほぼ真っ直ぐに続いています。宿場町の面影はもうほとんど残っておらず、あまりに広い街道は、何か違和感すら感じます。

 できれば、この町で昼食をと考えていましたが、食堂らしきものはありません。仕方なく歩いて行くと、左手に”本山そばの里”の看板が見えてきました。どうも、そば打ち体験の施設のようです。
 

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※左、日出塩の町。中、本山宿。右、そばの里入口。

 そばの里に入って行くと、そこはそばが食べられる食堂も併設されていました。ほっと一息、美味しい昼食にありつくことができました。

 本山宿の後は、少し国道を歩き、そして再び左手の旧道に入ります。そして、31番洗馬宿(せばじゅく)です。この宿場も、本山宿と同じくかつての面影はあまり残っていません。ただ、長野市に向かう善光寺道との追分は、街道の分岐点の名残を残しています。

 

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中山道(右方向)と善光寺道(左方向)の追分。

 

 この日の朝、奈良井宿を出て18Kmの道のりです。私たちは、洗馬の宿場から右にそれ、洗馬駅へ。塩尻迄の行程は次の日に残し、疲れた足を休めます。

 

 塩尻

 翌朝、洗馬駅から塩尻に向かいます。今回の中山道歩きは、塩尻の宿場までは行かず、塩尻駅で終了です。

 洗馬駅からは、山並みが遠ざかり、次第に視界が広がります。国道沿いにはリンゴ畑などの果樹園が広がります。中山道は、平出一里塚方面に。国道から離れて塩尻の街中に向かいます。一里塚を越え、中央線東線の架線をくぐったところで中山道から離れ、塩尻駅に向かいました。

 

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※左、塩尻への道。右、平出一里塚。

 

 今回の街道歩きはここまでです。塩尻駅でおいしい塩尻ワインを飲みながら、次の機会を伺います。

 

 この後、私たちが再び塩尻駅に降り立ったのは、およそ4か月後のことでした。この時は、塩尻の宿場から塩尻峠を越え、そして、中山道最大の難所である和田峠に挑戦です。

 

*1:実際、旅籠があったかどうかわかりませんが、休憩所のような機能であったようです。

*2:江戸に向かう者にとっては注意を要する所です。ここには、道案内があまりなく、関所前の道を中山道と錯覚させます。