旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ20・・・中山道、東赤坂から各務原へ(前編)

 揖斐川長良川を越え岐阜へ

 

 濃尾平野を東に進み、木曽三川(きそさんせん)のうちの2つの川、揖斐川長良川を渡ります。その先は、織田信長が天下取りの夢を抱いた岐阜の街。

 中山道からは、遥か北の方角にそびえる金華山。その頂上には、小さく見える岐阜城が濃尾の平野を見下ろしています。

 

 再び東赤坂へ

 今回から、日帰りでは難しくなるコースです。関西方面からは、大垣辺りが日帰りの限界。この先、効率よく歩くために、宿泊しながらの歩き旅です。

 先ずは、前回の行程を終えた、養老鉄道東赤坂駅まで向かいます。JR東海道本線の大垣駅で電車を乗り換え、3つ目の駅。そこは無人駅で、駅のすぐそばを中山道が通っています。

 赤坂宿から2Kmほど東の位置にある東赤坂駅。今回は、この駅からスタートし、1泊2日をかけて、各務原を目指します。この間、美江寺宿河渡宿加納宿の3つの宿場を通過します。

 

 駅を降りると、道路は整備されいて、自動車もよく通ります。しばらく進むと、旧道の雰囲気となり、農地や集落をみながらの歩みです。

 

f:id:soranokaori:20191122103902j:plain
f:id:soranokaori:20191122103919j:plain

※左、駅付近にある観光案内看板。右、東赤坂駅から東方面。

 

 揖斐川越え

 街道は、東に向かって延びていますが、この辺りは、中山道の名残はあまりありません。途中、小さな聖観音が道端にひっそりと佇んでいて、かすかに、ここが街道であったことを告げています。

 

f:id:soranokaori:20191122151232j:plain

 聖観音の道標。

 

  その後、住宅地を進んでいくと、平野井川という揖斐川の支流に達します。その直前には、道路下を通り抜けるトンネルのようなところがありますが、この辺りは、中山道の案内もなく、注意して進まないと道を誤ってしまいます。

 

f:id:soranokaori:20191122155123j:plain
f:id:soranokaori:20191122155142j:plain

※左、このトンネルが中山道をつなぐ道になります。右、平野井川へのルート。

 

 呂久の集落

 平野井川の右岸に出ると、大きな道標もあって、迷いなく、川沿いの道を下り、呂久(ろく)の集落へと向かうことができます。平野井川の小さな橋を渡ると、呂久の渡し、呂久渡船場跡の案内が。

 呂久の渡しは、揖斐川を渡る交通手段だったとのこと。今の揖斐川の流れとは少し離れた所にありますが、かつては、ここが川の渡しの拠点だった様子です。皇女和宮の一行も、赤坂宿を出た後に、この渡りで舟に揺られて、次の美江寺宿に向かったのしょう。今もそのことを印す石碑が残されています。

 呂久の集落辺りは、街道の面影も少しは残っていますが、それでも多くは住宅地に変貌しています。揖斐川が近づくと、次第に道幅は狭くなります。そして、揖斐川の堤を確認し、堤に向かって進みます。堤防下に出ると、左手に折れて橋の方向へ。間もなく、揖斐川に架かる鷺田橋です。

 

f:id:soranokaori:20191122155155j:plain
f:id:soranokaori:20191122155212j:plain

※左、呂久の渡し。右、呂久の町中。

 

 木曽三川の最初の川、揖斐川を渡ると農地が広がり、その向こうには町も見えます。

中山道は、鷺田橋を渡った直後に、下の写真に見える車道下の通路を左側に潜り抜けます。

 

f:id:soranokaori:20191123201156j:plain

※鷺田橋を越えたところの風景。

 その後、少しだけ堤を上流に戻り、直ぐ右の坂道を下って東に向かいます。農地や集落が広がる風景を見ながら歩いて行くと、小さな川沿いの道になります。この辺りは岐阜県穂積市になるようです。

 揖斐川長良川に挟まれた、水が豊かな地域のようで、その昔は農業地帯だった様子です。


 55番美江寺宿(みえじじゅく)

 美江寺宿に近づくと、美江寺千手観音堂が道端に佇んでいました。街道にポツンと残されたお堂は、もう間もなく宿場であることを告げてくれているようです。

 

f:id:soranokaori:20191123201251j:plain

※美江寺千手観音堂

 

 美江寺の宿場は、小じんまりとしています。宿場に入ると、真っすぐに延びた道を進み、直角に右方向に曲がります。中山道の幾つかの宿場でもあるような、典型的なかぎ型の宿場町です。

 直角に曲がる街道の突き当りには、美江神社が鎮座しています。それほど大きくはなく、地元の方々に守られた、由緒ある神社なのでしょう。

 町並みは、小さいだけに、良い雰囲気を持っています。宿場町の様子は、それほど残っていなくても、中山道の宿場町としての誇りを残そうという意気込みを感じます。

 ここまでは、東赤坂駅から6Km。次は、木曽三川の第2の河川、長良川に向かいます。

 

f:id:soranokaori:20191123203631j:plain

美江寺宿の石碑。

 

 54番河渡宿(ごうどじゅく)

 美江寺の宿場を出て、樽見線の鉄道を越え、真っすぐな道を東に向かって進みます。*1

 辺りは、相変わらず、農地や集落が広がっています。途中には、左手に水路を見ながら歩くところもあり、落ち着いた雰囲気です。

 次第に新しい町になり、家並みが少し増したように感じると、間もなく河渡宿です。この宿場は、今は宿場町の面影は全くと言っていいほど残されていません。新しい住宅が立ち並び、道幅も広くなっています。

 ところどころに、ここが街道であったことを示すモニュメントや道標があるだけで、今風の住宅地の様相です。

 

f:id:soranokaori:20191123203652j:plain
f:id:soranokaori:20191123203710j:plain

※河渡の宿場。

 元々は、この宿場は、長良川を渡る拠点だったはずですが、その面影を見かけることはできません。

 揖斐川長良川に挟まれた美江寺宿河渡宿。いずれも、規模は大きくはなく、小じんまりとしています。東に向かう旅人も、都を目指す人たちも、二つの大河川をいち早く通り過ぎたかったのでしょうか。

 

 

*1:樽見線も、養老鉄道と同様に、JR東海道本線の大垣駅から分岐しています。美江寺の町にも樽見線の駅があるようで、ここで歩きつなぐことも可能です。