濃尾平野を東に進み、木曽三川(きそさんせん)のうちの2つの川、揖斐川と長良川を渡ります。その先は、織田信長が天下取りの夢を抱いた岐阜の街。
中山道からは、遥か北の方角にそびえる金華山。その頂上には、小さく見える岐阜城が濃尾の平野を見下ろしています。
再び東赤坂へ
今回から、日帰りでは難しくなるコースです。関西方面からは、大垣辺りが日帰りの限界。この先、効率よく歩くために、宿泊しながらの歩き旅です。
先ずは、前回の行程を終えた、養老鉄道の東赤坂駅まで向かいます。JR東海道本線の大垣駅で電車を乗り換え、3つ目の駅。そこは無人駅で、駅のすぐそばを中山道が通っています。
赤坂宿から2Kmほど東の位置にある東赤坂駅。今回は、この駅からスタートし、1泊2日をかけて、各務原を目指します。この間、美江寺宿、河渡宿、加納宿の3つの宿場を通過します。
駅を降りると、道路は整備されいて、自動車もよく通ります。しばらく進むと、旧道の雰囲気となり、農地や集落をみながらの歩みです。
※左、駅付近にある観光案内看板。右、東赤坂駅から東方面。
揖斐川越え
街道は、東に向かって延びていますが、この辺りは、中山道の名残はあまりありません。途中、小さな聖観音が道端にひっそりと佇んでいて、かすかに、ここが街道であったことを告げています。
※聖観音の道標。
その後、住宅地を進んでいくと、平野井川という揖斐川の支流に達します。その直前には、道路下を通り抜けるトンネルのようなところがありますが、この辺りは、中山道の案内もなく、注意して進まないと道を誤ってしまいます。
※左、このトンネルが中山道をつなぐ道になります。右、平野井川へのルート。
呂久の集落
平野井川の右岸に出ると、大きな道標もあって、迷いなく、川沿いの道を下り、呂久(ろく)の集落へと向かうことができます。平野井川の小さな橋を渡ると、呂久の渡し、呂久渡船場跡の案内が。
呂久の渡しは、揖斐川を渡る交通手段だったとのこと。今の揖斐川の流れとは少し離れた所にありますが、かつては、ここが川の渡しの拠点だった様子です。皇女和宮の一行も、赤坂宿を出た後に、この渡りで舟に揺られて、次の美江寺宿に向かったのしょう。今もそのことを印す石碑が残されています。
呂久の集落辺りは、街道の面影も少しは残っていますが、それでも多くは住宅地に変貌しています。揖斐川が近づくと、次第に道幅は狭くなります。そして、揖斐川の堤を確認し、堤に向かって進みます。堤防下に出ると、左手に折れて橋の方向へ。間もなく、揖斐川に架かる鷺田橋です。
※左、呂久の渡し。右、呂久の町中。
木曽三川の最初の川、揖斐川を渡ると農地が広がり、その向こうには町も見えます。
中山道は、鷺田橋を渡った直後に、下の写真に見える車道下の通路を左側に潜り抜けます。
※鷺田橋を越えたところの風景。
その後、少しだけ堤を上流に戻り、直ぐ右の坂道を下って東に向かいます。農地や集落が広がる風景を見ながら歩いて行くと、小さな川沿いの道になります。この辺りは岐阜県穂積市になるようです。
揖斐川と長良川に挟まれた、水が豊かな地域のようで、その昔は農業地帯だった様子です。
55番美江寺宿(みえじじゅく)
美江寺宿に近づくと、美江寺千手観音堂が道端に佇んでいました。街道にポツンと残されたお堂は、もう間もなく宿場であることを告げてくれているようです。
※美江寺千手観音堂。
美江寺の宿場は、小じんまりとしています。宿場に入ると、真っすぐに延びた道を進み、直角に右方向に曲がります。中山道の幾つかの宿場でもあるような、典型的なかぎ型の宿場町です。
直角に曲がる街道の突き当りには、美江神社が鎮座しています。それほど大きくはなく、地元の方々に守られた、由緒ある神社なのでしょう。
町並みは、小さいだけに、良い雰囲気を持っています。宿場町の様子は、それほど残っていなくても、中山道の宿場町としての誇りを残そうという意気込みを感じます。
ここまでは、東赤坂駅から6Km。次は、木曽三川の第2の河川、長良川に向かいます。
※美江寺宿の石碑。
54番河渡宿(ごうどじゅく)
美江寺の宿場を出て、樽見線の鉄道を越え、真っすぐな道を東に向かって進みます。*1
辺りは、相変わらず、農地や集落が広がっています。途中には、左手に水路を見ながら歩くところもあり、落ち着いた雰囲気です。
次第に新しい町になり、家並みが少し増したように感じると、間もなく河渡宿です。この宿場は、今は宿場町の面影は全くと言っていいほど残されていません。新しい住宅が立ち並び、道幅も広くなっています。
ところどころに、ここが街道であったことを示すモニュメントや道標があるだけで、今風の住宅地の様相です。
※河渡の宿場。
元々は、この宿場は、長良川を渡る拠点だったはずですが、その面影を見かけることはできません。
揖斐川と長良川に挟まれた美江寺宿と河渡宿。いずれも、規模は大きくはなく、小じんまりとしています。東に向かう旅人も、都を目指す人たちも、二つの大河川をいち早く通り過ぎたかったのでしょうか。