旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ11・・・中山道、塩尻峠と和田峠(中編)

和田峠に挑戦

 

 信濃の国中山道は、塩尻から諏訪湖の北岸を横切り、霧ケ峰、美ヶ原といった山並みの間を乗り越えて、浅間山の麓、軽井沢に至る険しい道のりです。

 この山並みの難関が下諏訪宿ー和田宿間の和田峠中山道最大の難所とも言われる峠です。

 今では、このルートは国道142号線がはしり、峠は新和田トンネル有料道路で貫かれています。

 

 木落し坂

 いよいよ、中山道最大の難所、和田峠越えです。毒沢鉱泉から、一旦国道142号に出て、直ぐに右方向の旧道へ、木落し坂へと向かいます。道は上り坂ながら、勾配は緩やかです。山裾の道を歩き、落合橋を越え、さらに右に続く街道へ。

 この道は、整備はされていますが細くて急な坂道です。

 

 

f:id:soranokaori:20191013203754j:plain
f:id:soranokaori:20191016150934j:plain

※左、国道から落合橋方面へ。右、木落し坂への道。

 

 しばらく進むと「天下の木落し坂」の石碑が建つ小高い丘へ。”木落し”とは、諏訪大社下社の御柱(おんばしら)を、坂を利用して滑り落とすこと。7年に一度、この神事が行われるところです。

 この丘には御柱も展示され、一帯が、木落し神事や、諏訪大社の誇りと威厳を示しているようです。

 

f:id:soranokaori:20191016150946j:plain

※木落し坂の石碑。

 

 峠への道

 木落し坂を過ぎると、少し丘から下って国道142号に合流します。そこからは、国道の歩道の上り坂。真っ直ぐに山の方向を目指します。進行方向は、山並みが広がり、左手は川が流れ、右手は民家が続きます。

 途中、河川敷にそれる道になりますが、そこは細くて、あぜ道のよう。地図を確認しながら進みます。数百メートルも進んだでしょうか。結局、最後は行き止まり。国道に向けて、堤防をよじ登る羽目になりました。

 そして、さらに国道を進みます。橘橋茶屋本陣跡の石碑を越え、山道へ。少し屈曲した坂道を進むと142号の高架下です。そこをくぐると、すぐ左手が水戸浪士の墓。*1私たちは、ここで小休止です。

 この後、しばらくして国道と合流。次第に勾配を増す坂道を上ります。

 

f:id:soranokaori:20191013203813j:plain
f:id:soranokaori:20191017101555j:plain

※左、国道142号。上ってきた道を振り向くと絶景が広がっていました。右、水戸浪士の墓。「史跡 浪人塚」の碑には、少しいわれが記されています。

 

 ヘアピンカーブにさしかかると、中山道の案内が。そこから、国道をそれて山道に入ります。その先は、次第に崖地の道へ。途中から、どこが道か分からなくなり、ひたすら、こぶし大の石で覆われた傾斜地を進んでいきました。

 結局、谷川に下りる寸前で違和感を覚えます。道を完全に見失なってしまいました。困惑しながら行く手を探していると、上方の斜面にロープが張られているのが目に止まりました。

 きっと、それが中山道の目印に違いありません。そこまで数十メートルもあったでしょうか、急な崖をよじ登り、ようやくロープで道案内された街道に戻ることができました。

 

 この辺り、一つ間違えば非常に危険なところです。特に、江戸に向かう人は要注意。慎重に足を進める必要があります。

 

f:id:soranokaori:20191013203827j:plain

※トラロープが中山道の目印です。道というより、最早、崖地。右下に谷川が見えます。

 和田峠

 この崖路を越えると、一旦国道を横切って、再び山道に入ります。その後はひたすら山登り。およそ1時間ほどの急な上り道です。山は次第に深くなり、道はそれこそ登山道。途中、鹿の姿も見えました。

 もう間もなく峠かと思われたころに、七曲というつづら折れの坂道が。この道を乗り越えると、いよいよ峠です。

 毒沢鉱泉を出てから4時間の道のりでした。

 

f:id:soranokaori:20191013203838j:plain
f:id:soranokaori:20191013203851j:plain

※左、和田峠の案内板。右、和田峠から下諏訪方面の景色。

 

  和田峠には、少し開けた空間があります。石碑や案内板などもあり、一息つくのに絶好の場所です。

 私たちがここにやってきたのは4月の下旬。標高が1,600mほどのこの場所は、少し肌寒く、しかし、心地よい空気を味わうことができました。

 今、辿ってきた下諏訪方面は、絶景が広がります。遠方には、日本アルプスがまだ雪を残している景色を望むことができました。

 

 和田宿へ

 峠を後に、和田宿への道を急ぎます。下り道は、少し道幅も広がり、歩きやすい街道です。ただ、所々に、まだ雪が残っていて、気を付けないと滑ってしまいます。後に宿の方がおっしゃったように、あと1週間ほど早ければ、雪が多く危険な峠越えになっていたかも知れません。

 

f:id:soranokaori:20191017141521j:plain

和田峠からの下り道。北斜面になります。

 

 坂道をどんどん下っていきます。途中、ビーナスラインを横切り、先へ先へと急ぎます。いつまでたっても坂道で、一息つけるところもありません。

 一旦山道を抜けて142号線に合流する辺りには、永代人馬施行所跡が。ここは、ある地図には、休憩所のようなことが書かれていたため、一息つける場所かと思っていましたが、それは昔の話。昔の旅人への給仕の施設だったようです。

 

f:id:soranokaori:20191017140239j:plain

※永代人馬施行所跡。

 

 この永代人馬施行所まで、峠を出ておよそ1時間の下り道です。しかし、先はまだまだ続きます。

 再び山の中の道に入り、坂道を下り続けます。次に142号線と交わるところが男女倉口(おめぐらぐち)。*2ここからは、国道に沿って進みます。途中、ようやく見つけた食堂の”杉の屋”さんで遅い昼食をいただくことができました。

 和田宿まではもう一息。疲れが押し寄せてくるものの、この日の宿泊地、27番長久保宿はまだ先です。力を振り絞って進んでいきました。

 途中、20人ほどの街道歩きの集団とすれ違い。ガイドの方と少し言葉を交わしましたが、この方々は、どのような行程で中山道を刻んでおられるのでしょう。和田峠に入るのは遅すぎる時間帯です。

 

 和田宿

 ここからは、国道から旧道を経て和田宿に入ります。ようやく和田宿の入口にさしかかったのは、15時頃。早朝に宿を出てから7時間半、和田峠からは2時間半ほどが経過していました。

 

f:id:soranokaori:20191017140253j:plain

※和田宿の入口。

 

 長時間歩いてきましたが、この日の目的地はまだ先です。和田宿から、さらにその先、長久保宿を目指します。

 この日、長久保宿で1泊し、翌日、今回3つ目の峠、笠取峠を越えて26番芦田宿へ。峠越えが続く消耗戦です。

 

*1:幕末に、水戸の浪士がここで松本藩と争い、その犠牲者を弔った墓とのこと。詳しくはわかりません。

*2:男女倉から和田宿、そして上田駅方面までは、バス路線となっています。本数は多くはありませんが、このバスを利用して行程を組むこともできます。