和田峠に挑戦
信濃の国の中山道は、塩尻から諏訪湖の北岸を横切り、霧ケ峰、美ヶ原といった山並みの間を乗り越えて、浅間山の麓、軽井沢に至る険しい道のりです。
この山並みの難関が下諏訪宿ー和田宿間の和田峠。中山道最大の難所とも言われる峠です。
今では、このルートは国道142号線がはしり、峠は新和田トンネル有料道路で貫かれています。
木落し坂
いよいよ、中山道最大の難所、和田峠越えです。毒沢鉱泉から、一旦国道142号に出て、直ぐに右方向の旧道へ、木落し坂へと向かいます。道は上り坂ながら、勾配は緩やかです。山裾の道を歩き、落合橋を越え、さらに右に続く街道へ。
この道は、整備はされていますが細くて急な坂道です。
※左、国道から落合橋方面へ。右、木落し坂への道。
しばらく進むと「天下の木落し坂」の石碑が建つ小高い丘へ。”木落し”とは、諏訪大社下社の御柱(おんばしら)を、坂を利用して滑り落とすこと。7年に一度、この神事が行われるところです。
この丘には御柱も展示され、一帯が、木落し神事や、諏訪大社の誇りと威厳を示しているようです。
※木落し坂の石碑。
峠への道
木落し坂を過ぎると、少し丘から下って国道142号に合流します。そこからは、国道の歩道の上り坂。真っ直ぐに山の方向を目指します。進行方向は、山並みが広がり、左手は川が流れ、右手は民家が続きます。
途中、河川敷にそれる道になりますが、そこは細くて、あぜ道のよう。地図を確認しながら進みます。数百メートルも進んだでしょうか。結局、最後は行き止まり。国道に向けて、堤防をよじ登る羽目になりました。
そして、さらに国道を進みます。橘橋茶屋本陣跡の石碑を越え、山道へ。少し屈曲した坂道を進むと142号の高架下です。そこをくぐると、すぐ左手が水戸浪士の墓。*1私たちは、ここで小休止です。
この後、しばらくして国道と合流。次第に勾配を増す坂道を上ります。
※左、国道142号。上ってきた道を振り向くと絶景が広がっていました。右、水戸浪士の墓。「史跡 浪人塚」の碑には、少しいわれが記されています。
ヘアピンカーブにさしかかると、中山道の案内が。そこから、国道をそれて山道に入ります。その先は、次第に崖地の道へ。途中から、どこが道か分からなくなり、ひたすら、こぶし大の石で覆われた傾斜地を進んでいきました。
結局、谷川に下りる寸前で違和感を覚えます。道を完全に見失なってしまいました。困惑しながら行く手を探していると、上方の斜面にロープが張られているのが目に止まりました。
きっと、それが中山道の目印に違いありません。そこまで数十メートルもあったでしょうか、急な崖をよじ登り、ようやくロープで道案内された街道に戻ることができました。
この辺り、一つ間違えば非常に危険なところです。特に、江戸に向かう人は要注意。慎重に足を進める必要があります。
※トラロープが中山道の目印です。道というより、最早、崖地。右下に谷川が見えます。
この崖路を越えると、一旦国道を横切って、再び山道に入ります。その後はひたすら山登り。およそ1時間ほどの急な上り道です。山は次第に深くなり、道はそれこそ登山道。途中、鹿の姿も見えました。
もう間もなく峠かと思われたころに、七曲というつづら折れの坂道が。この道を乗り越えると、いよいよ峠です。
毒沢鉱泉を出てから4時間の道のりでした。
和田峠には、少し開けた空間があります。石碑や案内板などもあり、一息つくのに絶好の場所です。
私たちがここにやってきたのは4月の下旬。標高が1,600mほどのこの場所は、少し肌寒く、しかし、心地よい空気を味わうことができました。
今、辿ってきた下諏訪方面は、絶景が広がります。遠方には、日本アルプスがまだ雪を残している景色を望むことができました。
和田宿へ
峠を後に、和田宿への道を急ぎます。下り道は、少し道幅も広がり、歩きやすい街道です。ただ、所々に、まだ雪が残っていて、気を付けないと滑ってしまいます。後に宿の方がおっしゃったように、あと1週間ほど早ければ、雪が多く危険な峠越えになっていたかも知れません。
※和田峠からの下り道。北斜面になります。
坂道をどんどん下っていきます。途中、ビーナスラインを横切り、先へ先へと急ぎます。いつまでたっても坂道で、一息つけるところもありません。
一旦山道を抜けて142号線に合流する辺りには、永代人馬施行所跡が。ここは、ある地図には、休憩所のようなことが書かれていたため、一息つける場所かと思っていましたが、それは昔の話。昔の旅人への給仕の施設だったようです。
※永代人馬施行所跡。
この永代人馬施行所まで、峠を出ておよそ1時間の下り道です。しかし、先はまだまだ続きます。
再び山の中の道に入り、坂道を下り続けます。次に142号線と交わるところが男女倉口(おめぐらぐち)。*2ここからは、国道に沿って進みます。途中、ようやく見つけた食堂の”杉の屋”さんで遅い昼食をいただくことができました。
和田宿まではもう一息。疲れが押し寄せてくるものの、この日の宿泊地、27番長久保宿はまだ先です。力を振り絞って進んでいきました。
途中、20人ほどの街道歩きの集団とすれ違い。ガイドの方と少し言葉を交わしましたが、この方々は、どのような行程で中山道を刻んでおられるのでしょう。和田峠に入るのは遅すぎる時間帯です。
和田宿
ここからは、国道から旧道を経て和田宿に入ります。ようやく和田宿の入口にさしかかったのは、15時頃。早朝に宿を出てから7時間半、和田峠からは2時間半ほどが経過していました。
※和田宿の入口。
長時間歩いてきましたが、この日の目的地はまだ先です。和田宿から、さらにその先、長久保宿を目指します。
この日、長久保宿で1泊し、翌日、今回3つ目の峠、笠取峠を越えて26番芦田宿へ。峠越えが続く消耗戦です。