※前々回のブログにおいて、北国街道のシリーズを1回飛ばしていたことを今日になって気づいた次第。所用で外出していたために、携帯からの操作となって誤送信をしたようです。読者の皆様には大変申し訳なく思っています。と、いう訳で、飛ばしてしまった北国街道79を今回アップさせて頂きます。どうかご容赦を。
市振は、松尾芭蕉の『おくのほそ道』でも有名なところです。その訳は、本文中で一章が設けられ、宿で一夜を明かした時の出来事が生々しく綴られているからだと思います。
「今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云北国一の難所を越て、つかれ侍れば、枕引きよせて寝たるに、一間隔(ひとまへだて)て面(おもて)の方に、若き女の声二人計(ばかり)ときこゆ。」
との書き出しで始まるこの章は、寝床で隣部屋から漏れ聞こえてきた、女2人と年老いた男1人の会話の概要が書き記されているのです。その内容は、女たちは、越後の国の新潟の遊女で、伊勢神宮に参拝するための道中らしい。男は、女たちをここ市振の関所まで送ってきたようで、明日は、新潟へ戻ることになっている。そのため、手紙を持たせ、ことづてなどをしているようだ。と、いうものです。
そして、いつの間にか眠りに入って、翌朝出発する時、「行方の分からない旅路の辛さ、あまりにも心もとないので、見え隠れにでもよいのでお供させていただけないでしょうか。大慈のお坊様の恵みと仏の結縁(けちえん)を給わりたく思います。」と、涙ながら遊女たちに懇願されます。
けれども、「私たちは、所々に人を訪ねて滞在しなければならないため、同行はできません。あなた方は、誰となく先を行く人々の後をついて行かれるがよい。神仏の加護は必ずありますよ。」と言って別れることになった。・・・悲しみはしばらく止むことがなかった。
と、いう内容です。
そして、一句・・・
一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月
【この宿には、行脚僧のような自分と遊女が泊り合わせた。折から庭の萩を月光が美しく照らしているの意。全く境遇の違うものが一家に泊まり合わす因縁があっても、結局別れ別れとなる、会者定離が人生なのだ、との感慨を含む。】『おくのほそ道』(岩波文庫)の解説によります。
このような、奥深い文面が綴られた、『おくのほそ道』の舞台です。じっくりと、味わいながら歩を進めます。
弘法の井戸
海道の松を右に見て、真っ直ぐ続く宿場の中を歩きます。直線状に延びる道は、かつての面影はありません。道幅もそこそこ広く、ある時点で町の整備が進んだのだと思います。
ただ、芭蕉も一夜の宿をとった町。何となく奥深さを感じます。
途中、道の右側に「弘法の井戸」と表示された井戸の跡がありました。

※弘法の井戸と市振の宿場町。
「昔、市振の村はずれの茶屋に坊さん(弘法大師)がきて『水がほしい』といったところ茶屋の婆さんは一キロも遠い赤崎のチビタミズ(冷たい清水)を汲んできてあげた。坊さんはこれをあわれんで、足元の土をツエで三度突きこの井戸をつくったという。」
井戸の傍に置かれていた、説明板の内容です。弘法大師が越後の地まで足を運んだということは、およそ考えられないことですが、こんな場所にも空海の伝説が残っているとは驚きでしかありません。
桔梗屋跡(ききょうやあと)
しばらく足を進めると、今度は左手に、「史跡 伝芭蕉の宿 桔梗屋跡」と記載された表示柱がありました。

何のへんてつもない民家の一角に置かれた表示柱。彼の芭蕉が一夜を明かした桔梗屋の建物があった位置を、正確に伝え残して下さっているのです。
と、いうことは、冒頭で紹介した、遊女との出会いがあったところこそ、正に、この場所だったのです。

※桔梗屋の表示柱。
表示柱があった傍には、民家の壁に張り付くように設置された、説明板がありました。そこに書かれた説明は、興味深い内容を含んでいるため、ここで紹介させて頂きます。
「この地は、元禄二(一六八九)年七月十二日に、俳人松尾芭蕉が『奥の細道』の道すがら、一夜の宿をとり、
一つ家に 遊女も寝たり 萩と月
の名句を詠んだと伝えられる桔梗屋跡です。桔梗屋は市振宿における脇本陣でしたが、大正三(一九一四)年の大火で焼失してしまい、現在はその跡地が残るのみとなっています。」
「安政三(一八五六)年に刊行された俳人中江晩籟の句集『三富集』には次のように記されています。
市振の桔梗屋に宿る。むかし芭蕉、此宿に一泊の時、遊女も寝たる旧地なり。
寝覚めして 何やらゆかし 宿の花」
「良寛もこの地に一宿し、次の句を詠んだといわれています。
市振や 芭蕉も寝たり おぼろ月」

※桔梗屋跡地に置かれていた説明板。
なるほど、大正時代の初期までは、この地はまだ、宿場町の面影を目いっぱい残していたのでしょう。ところが、大火が襲い、町の様子は一変したのだと思います。残念ながら、その時に、桔梗屋も被害にあいました。
何人もの有名人が一夜を過ごした桔梗屋は、どのような宿だったのか。この地に再建されたなら、きっと、多くの観光客が来訪されることでしょう。
今はひっそりと、越後の国の西のはずれに佇みます。

※桔梗屋を後にして市振宿を西に向けて進みます。
市振宿の後半
桔梗屋跡を後にしてしばらく進むと、道は大きく弓なりに、右方向に曲がります。道沿いは、2階建ての木造民家が軒を連ねて並んでいます。
正面の民家の奥には、低い山の尾根。どことなく、宿場町の面影が感じられるような風景です。

※市振宿の西側の町並み。