旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[甲州道中]46・・・駒木野宿へ

 高尾

 

 小仏の宿場を過ぎた後、街道は、高尾の街に向かいます。高尾と言えば高尾山。首都圏から多くの人が訪れる、観光の名所です。

 東京の、西の端でありながら、北側の、檜原(ひのはら)や、奥多摩の渓谷が、甲州秩父などの、奥深い山並みに迫っているのと比べると、高尾の辺りは、それほどの奥深さはありません。

 次第に、民家や店舗などが密度を増して、首都の街へと移ろいます。

 

 

 裏高尾

 街道が通過する、小さな谷の空間は、裏高尾と呼ばれる地域です。高尾山の北にあって、この後、高尾の街や八王子へとつながります。

 壮大な、高速道路の八王子ジャンクションを頭上に見ながら、昼食に見放された空腹感を携えて、裏高尾の摺差(するさし)という集落を進みます。

 

 集落を歩いていると、何本もの幟旗が掲げられた、1軒のお店がありました。そこには、「とうふ」と書かれた看板も。これは、豆腐屋さんに違いないと、食糧の調達を諦めていたところ、幟旗の1つには、「豆乳とおからの ドーナツ」の表示です。

 救われた気持ちになって、お店の敷居をまたぎます。

 

※街道沿いの峰尾豆腐店

 

 ドーナツ

 お店に入ると、そこは、狭い空間です。それでも、明るい雰囲気が漂って、棚には、色々な商品が並んでいます。

 私たちは、一目散に、目的のドーナツを手にすることに。このドーナツ、5個入りで確か350円。結構、ずっしりと、重みのある一品でした。

 

※豆乳ドーナツ。

 私たちは、お店の隣に置かれていた、木のベンチに腰掛けて、昼食代わりのドーナツを頂きます。

 このドーナツ、なかなか食べ応えがあり、直ぐに空腹を癒せます。峠道の体の疲れも、何となく薄らいだ気分になって、この先の駒木野宿へと向かいます。

 

 高尾山道

 摺指の集落のはずれには、「高尾山道」と刻まれた、古い石柱がありました。この辺りから、右奥の沢を越え、高尾の山にのぼる道があるようです。

 

※高尾山道の表示がある石柱。

 

 蛇滝(じゃたき)

 街道を進んで行くと、年代を感じるような、古い木造の建物がありました。その正面には、バスの停留所。「蛇滝口」との表示です。

 資料を見ると、高尾山の中腹に、蛇滝と呼ばれる滝があり、そこは、水行の道場になっているということです。年代物の建物も、蛇滝信仰の人たちの、宿であったと書かれています。

 先ほどの、高尾山への山道と、滝に向かう山道は、どこかでつながっているのかも知れません。

 

※蛇滝口。右側の建物が、宿として利用されていたところです。

 

 駒木野宿(こまぎのじゅく)へ

 街道は、この先、比較的狭い道が続きます。道は、緩やかな上り下りを繰り返し、また、新しい住宅や、古からの集落を、交互に通り抜けて進みます。

 

※比較的新しい家並みが続く道筋。

 

 駒木野宿

 やがて、街道の左手に、「甲州街道駒木野宿」と記された、大きな石碑が見えました。石垣で、一段高くなった場所。何かの施設の名残りでしょうか。この辺りには、住宅は無く、木々が茂った空間です。

 石碑の向かい側には、駒木野のバス停がありました。確かに、ここは、駒木野の宿場町。前の宿場の小仏宿から、およそ3キロのところです。

 

※駒木野宿の石碑。

 

 駒木野の宿場には、本陣と脇本陣が各1軒、問屋は3軒ありました。旅籠の数は、12軒。小仏宿と共同で、宿場町の運営が、行われていた様子です。

 今日の駒木野宿は、小仏宿と同様に、宿場町の面影を見ることはできません。町並みは変貌し、わずかに残る石碑だけが、歴史の証を伝えています。

 

 小仏関所跡

 駒木野の宿場の石碑から、わずかに進んだところには、「史跡 小仏関跡」の石標と、関所に関する、説明板などがありました。

 関所跡に置かれていた、古絵図の表示板を見ていると、宿場の石碑があった一角も、関所の敷地だった様子です。

 

※小仏関跡。

 古絵図に添えられた説明では、「小仏関は、四方を柵などで囲われ、東西の門が置かれていました。北に山、南に川という地にあり、当時ここを通行していた人々を厳重にチェックしていたようです。」と書かれています。

 

 国の指定史跡のこの関所跡。石標の傍に置かれた説明板の内容も、少しだけ引用したいと思います。

 

 「小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられ富士見関ともよばれた。武田・今川・織田などの周辺の有力氏が滅ぶと麓に一度移され、その後、北条氏の滅亡により、徳川幕府甲州道中の重要な関所として現在地に移されるとともに整備された。」

 「関所の通過は、・・・手形を必要とした。・・・この手形を番所の前にすえられた手形石にならべ、もう一つの手付き石に手をついて許しを待ったという。」

 

 下の写真をよく見ると、説明板の脚の下には、ひとつの石が置かれています。そこには、木でできた表示の板が、「手形石 手付石」を示しています。

 長い時を経てもなお、このように、史跡として残された、特徴のないひとつの石。この石も、多くの人を見届けて、歴史の流れを見続けてきたのだと思います。

 

※小仏関跡の石標と説明板。手形石・手付石の姿も見えます。

 高尾の街へ

 駒木野の宿場を後にした私たち。次に目指す宿場町は八王子。街道は、その前に、高尾山の観光の玄関口、高尾の街へと向かいます。