多摩川の六郷橋を渡った先は、東京都大田区です。先ず、六郷の街を歩いて、蒲田、大森へと向かいます。大田区は、蒲田の”田”と、大森の”大”からきた名前。これらの街を歩いた先が、品川の宿場です。
蒲田と言えば、蒲田行進曲を連想される方は、少なくないと思います。JRの蒲田駅では、何時もこのメロディーが流れています。一方の大森は、大森貝塚で有名です。歴史の教科で学んだことを、ご記憶の方も多いでしょう。
地名の記憶はありながら、どんな街かはよく分からないこれらの街を眺めつつ、江戸日本橋を目指します。
川崎の宿場を終えて、多摩川に架かる六郷橋を渡ります。橋の中間地点には、東京都大田区の表示です。東海道の街道歩きは、いよいよ最後の区間に入ります。
※六郷橋。
国道15号線の六郷橋は、神奈川と東京を結んでいる、主要な橋のひとつです。かつては、船の渡しで結んだルートを、今は、この橋でつなぎます。
六郷の街
六郷橋を渡った先は大田区の六郷の街。道沿いは、住宅やお店などが混在する、それほど特徴のない街並みです。ところどころに、高層のマンションなども見られます。
本来は、少しの間、国道の右にある旧道を歩くのですが、歩いた当時の写真データをなくしたために、ここでは紹介することができません。別の日に、再び訪れた、国道の左側歩道の街の様子をお伝えします。
※六郷橋を渡った先の蒲田の街。
国道の右側に見えるのは、ここの地名を冠した神社。立派な鳥居と、「六郷神社」と刻まれた、大きな石柱が見事です。旧道は、多摩川のたもとから、六郷神社辺りまで。その先の街道は、全くの国道筋で、往時の面影を感じるところはありません。
※六郷神社の正面。
やがて、国道の歩道には雑色駅(ぞうしきえき)の表示板。左手の、細い道の先には、京急線の雑色駅があるようです。
この辺り、低層階の建物が密集し、ある意味活気に満ちた街並みです。
蒲田へ
街道は、六郷から蒲田の街に近づきます。道路の拡張工事の影響なのか、道の形が少しずつ変わってきたように思います。高層のビルなども目立ちはじめて、国道の道幅も広がった感じです。
※国道伝いの蒲田の街。
街道は、やがて、京急蒲田駅前交差点を迎えます。京急蒲田駅は、国道に面した左側。この地域では、あちこちで工事が進んでいるようで、街は、日々進化しているように感じます。
蒲田には、京急の駅のほか、JR蒲田駅も存在します。JR蒲田駅は、京急駅から、数百メートル西(左手)にあり、二つの駅に挟まれた区域が、蒲田の街の中心です。
京急の蒲田駅は、京急本線の主要駅であると同時に、京急空港線の起点です。羽田空港へのアクセス駅のひとつとして、重要な役割を担っています。
※信号の向こう左手が京急蒲田駅。国道を横断している高架は、京急空港線と歩道橋。
梅屋敷
京急蒲田駅前を通過して、大森方面へと向かいます。駅を過ぎたところには、呑川(のみかわ)に架けられた夫婦橋(めおとばし)。名前の由来は分かりませんが、何か、物語がありそうな名称です。
※左、京急蒲田駅前。右、東蒲田二丁目交差点。
私たちは、マンションなどが建ち並ぶ、国道に沿って進みます。左奥には、ところどころで、京急本線の高架の軌道も見られます。
やがて、左側に、ちょっとした広さの公園が。松などの木々が配されて、都会の中に、潤いが感じられるところです。この公園、梅屋敷公園と呼ぶようです。元は、食あたりなどに効果があった、”和中散”という薬の販売所だったようですが、その後、店の当主が梅の名木を植栽し、茶屋を設けたということです。
※梅屋敷公園と「梅屋敷と和中散売薬所跡」と記された案内板。
大森へ
梅屋敷を過ぎ、北東へと向かって行くと、やがて、大森の地域に入ります。道沿いは、次第に、大きなビルが目立ち始め、都心に近づくような雰囲気を感じます。
※大森町駅入口交差点。
美原通り
京急の大森駅近くを通り過ぎると、高架道路が現れます。その先は、国道と高架道路が、立体的に重なるような道筋です。
街道は、この複雑な道路を避けて、右方向の細い道に入ります。この道の名称は、美原通りと呼ばれています。道沿いは、よく整備され、整然とした街並みです。それでも、街道筋の道の流れがよく残されて、雰囲気の良いところです。
下の写真の表示では、「するがや通り商店街」と書かれていますが、途中に架かる内川橋から南側の美原通りを、敢えて、”するがや通り”と呼ぶようです。
※左、美原通りの内の”するがや通り”。右、内川橋。
内川橋のたもとにあった説明板には、次のように書かれています。
「・・・昭和2年(1927)、東海道は拡幅改修され、第一京阪国道が完成した。そのため往時の幅員を比較的よく残しているのは、この美原通りと六郷地区の一部だけとなった。旧東海道は、かつて三原通りと言われた。三原とは、字名の、南原、中原、北原の三原のことで、美称して美原になった。歌舞伎『浮世塚比翼稲妻(ひよくのいなづま)』(鶴屋南北作)で有名な旅籠「駿河屋」のあった「するがや通り」は内川橋の際から分かれる。」
国道へ
美原通りの、数百メートルの区間を終えると、街道は、国道に合流します。合流地点は、平和島と呼ばれる辺り。道の右には埋立地が始まって、潮の香りが漂ってきそうなところです。
※国道と合流した街道。
品川区
道は、やがて品川区に入ります。道路沿いの建物は、さらに規模が大きくなって、いよいよ、都心に近づいたことを感じます。
歩道上の案内表示は、JR大森駅と、京急大森海岸駅を示すもの。この二つの駅がある場所は、品川区のすぐ南側にあたります。
※左、旧道街道を示す石柱。右、品川区の入り口辺りの国道。
品川の宿場町は、あともう少しのところです。東海道の最後の宿場町を目指して街道歩きを続けます。