難所の道
権太坂から保土ヶ谷宿に向かう街道は、上り坂は少なくて、下りの道が中心です。これまで、品濃坂や焼餅坂など、幾つかの坂道を越えてきたため、権太坂の入口では、既に、そこそこの標高に到達しているのです。厳しい坂だと、覚悟していた権太坂。東に向かう場合には、それほど苦にはなりません。
ただ、一方で、江戸方面からこの坂に挑む場合は、大変な難所の道だと思います。西に向かう旅人は、厳しい坂を上りつつ、この先で、武蔵の国と別れを告げる寂しさも、噛みしめていたのかも知れません。
権太坂の上り坂
権太坂に入った街道は、思ったよりも緩やかな坂道です。ゆっくりと弧を描きながら、少しずつ峠へと向かいます。
道沿いは、新しい住宅が軒を連ねて、辺りは、街道筋というよりも、新興住宅地の様相です。
※住宅が連なる権太坂。
峠辺り
坂道が、下り坂へと変わる辺りも、住宅が連なります。左手には、少し開けた場所があり、眺望が良好です。よく見ると、そこからは、美しい富士山の姿が見えました。この場所は、やはり、ある程度標高の高い位置。品濃坂から望んだ富士とは、見応えが違います。
今は、住宅の屋根などで、幾分興ざめのところもありますが、その昔、ここからの眺望は、より素晴らしかったことでしょう。
※権太坂の峠辺りから望む富士山。
坂道の名の由来
峠から先の道は、下り坂が続きます。急勾配の所もあって、江戸方面から上る場合は、さぞかし大変な坂道なのだと思います。
私たちは、軽快に歩様を進め、この先の保土ヶ谷宿を目指します。
途中、権太坂を紹介する案内板や、石造りの標柱なども置かれていて、歴史ある坂道を大切にされている、地域の思いを感じることができました。
ここで、案内板に書かれていた、権太坂の由来について紹介したいと思います。
「この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅人がはじめて経験するきつい登り坂でした。日本橋から4番目の宿場であった保土ヶ谷宿まではほぼ江戸内湾沿いの平坦地でしたが、宿の西にある元町橋を渡ったあたりより、長く続く険しい登り坂となります。『新編武蔵風土記稿』に、名前の由来は、道ばたの老齢の農民に旅人が坂の名を聞いたところ、耳の遠いこの老人は自分の名を聞かれたと思い、「権太」と答えたため、とあります。」
有名人に由来する地名などは、よく耳にするものですが、権太じいさんの名前を冠した坂道が、今もこの地に残っているとは、何となく、心が安らぐお話です。
※左、権太坂の下り道。右、案内板と石標。
街道は、保土ヶ谷の街並みを見下ろしながら、次第に標高を下げていき、宿場町へと近づきます。
※保土ヶ谷の街を見下ろす街道。
坂道を下り切ると、一旦、住宅地の中に入ります。そして、その先で、国道1号線に合流です。
国道は、ここまでの間、旧東海道より少し南東側を通っています。国道の「権太坂」もその途中にあって、箱根駅伝の通過ポイントのひとつです。
※左、権太坂の出口辺り。右、国道との合流地点。
国道に入った街道は、その先で、保土ヶ谷の一里塚跡を迎えます。この場所は、私たちが歩いている、上り車線側ではなくて、反対の下り車線の歩道です。少し意匠も施されたその場所は、保土ヶ谷宿の上方見附と並ぶ位置。保土ヶ谷の宿場町は、この辺りから始まっていたようです。
しばらく、国道の歩道を歩くと、茶屋本陣跡の標示です。この辺りの道筋は、正に国道の沿線です。宿場町の面影は、見る影もありません。
※茶屋本陣跡の標示。
苅部本陣跡
さらに国道伝いに進んで行くと、保土ヶ谷町一丁目の交差点を迎えます。この交差点の右方向の木造家屋が、苅部本陣があった場所。歩道沿いには、今も、本陣の通用門が残っています。
街道は、この交差点を左折して、保土ヶ谷の駅近くの商店街に向かいます。
※左、国道1号線の街道風景。右、苅部本陣跡。緑の屋根が本陣の通用門。
やじさん・きたさん
『東海道中膝栗毛』のやじさんは、この保土ヶ谷で次のような一句を詠っています。
”おとまりは よい程谷(ほどがや)と とめ女
戸塚前(とっつかまえ)ては はなさざりけり”
物語の成り行きが分からなければ、この歌がどういう意味だか、ちんぷんかんぷん。それでも、話が分かれば、なかなか味のある内容です。狂歌などに造詣の深いやじさんは、道中で、たくさんの歌を創作します。「歩き旅のスケッチ[東海道]」でも、何回か、紹介してきたところです。
ところで、保土ヶ谷でのお話は、旅籠の客引きをする女性と旅人との掛け合いです。ある旅人が、女性に手をつかまれて勧誘を受けています。ーーー旅人は、手がもげるので離してくれ、と。ーーー女性は、手はもげてもいいからお泊りを、と強引です。ーーー旅人は、手がなくなればご飯が食えない。ーーー女性、ご飯は食べてもらわない方が儲けがいいから泊っておくれ。
この場面を見たやじさんは、とめ女が、”お泊りは、よい(程谷)保土ヶ谷で”と強引に手をつかみ、”とっつかまえて はなさざりけり”と詠みます。その、”とっつかまえ”を、次の宿場が戸塚であるため、”戸塚前”とかけるのです。
何とも見事な歌を披露して、やじさんときたさんは、次の戸塚宿で宿を取るべく、道中を急ぎます。