旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]102・・・戸塚宿から東戸塚へ

 武蔵の国へ

 

 相模の国の戸塚宿。次の宿場の保土ヶ谷宿に向かう途中で、街道は、武蔵の国に入ります。戸塚の道は、しばらくは平坦ですが、やがて国境に近づくと、再び丘越えの道に変わります。

 繰り返す起伏の道は、次第に、横浜の神奈川宿に近づいて、旅人を、江戸の街へと誘います。

 

 

 戸塚宿

 戸塚宿は、東海道53次の宿場の中では、そこそこの規模を誇っていた様子です。これまでから、何回か引用してきた、静岡の島田市博物館の掲示によると、戸塚宿は、25番目の人口規模。19世紀の初頭には、558軒の家数で構成され、2928人の人口を擁していたということです。(本陣などのことについては後述します。)

 江戸から数えて5番目の宿場町。距離にして42Kmの地点とあって、江戸からの、最初の宿泊地として、大変賑わっていたようです。『東海道中膝栗毛』に登場する、”やじさん”と”きたさん”も、ここで、最初の旅の夜を迎えます。

 

 今は、本陣辺りの街並みは、たくさんのビルが立ち並び、往時を偲ぶことはできません。この道沿いに、旅籠などが並んでいたとは、想像もできない光景です。

 

f:id:soranokaori:20220410152003j:plain

※本陣跡近くの街の光景。先にある歩道橋の右側が戸塚駅

 

 駅前辺り

 街道は、駅前の交差点を通り過ぎ、その先で、右前にある、駅ビルの裏手の道に入ります。少し分かりにくい場所ですが、道案内があったような気がします。注意して、地図と表示を確認し、先の道へと進みます。

 

f:id:soranokaori:20220410152025j:plain

戸塚駅前ビルと、東海道

 

 ビルの裏道を進んで行くと、JR東海道本線の軌道を越える歩道橋が現れます。駅と直結しているような、近代的な歩道橋。街道は、この橋を利用して、駅の東に渡ります。

 歩道橋を渡り終えると、駅裏の、少し落ち着いた街の様相です。マンションや、幾つかのお店などが、街道沿いに並んでいます。

 

f:id:soranokaori:20220412154322j:plain
f:id:soranokaori:20220412154342j:plain

※JRの軌道上を跨ぐ歩道橋。

 

 柏尾川(かしおがわ)

 駅東の街並みを眺めながら、さらに東へと向かいます。途中には、問屋場跡の案内なども目に止まり、ゆったりとカーブを描く道筋とも合わさって、わずかに、街道の趣が味わえるところです。

 やがて、道は、県道と合流しますが、おそらく、以前は旧国道だったのだと思います。今の国道1号線は、戸塚の市街地を避けるように、北西側を迂回して、この先で、県道と合流することになるのです。

 

f:id:soranokaori:20220412154403j:plain

※県道と合流して、柏尾川の吉田大橋へ。

 県道と合流した後、街道は、柏尾川へと向かいます。柏尾川に架けられた、吉田大橋に差し掛かるところには、戸塚宿の、立派な案内板がありました。

 この案内板の解説には、「戸塚宿は、人口規模2900人余、家数は613軒、本陣は2、脇本陣は3、旅籠は73軒と、東海道53次の宿場の中では10番目に宿泊施設の多い宿場でした。」と書かれています。

 冒頭で紹介した、島田市博物館の資料によると、人口規模は25番目ということで、人口に比べると、旅籠の数は随分多かったことが分かります。

 

 戸塚の宿場は、柏尾川の少し先で東の出口を迎えます。宿場町の西の端からここまでは、およそ2.2Kmの延長だったということです。

 

 街道は、戸塚の街を通り抜け、水路のような、小さな川を渡ります。そして、その先を右折して、少しだけ水路伝いに進むのです。その後、次の信号を左折です。

 少し複雑な道筋ですが、地図を見ながら、確実に街道のルートを辿ります。

 

f:id:soranokaori:20220412154428j:plain
f:id:soranokaori:20220412154448j:plain

※左、水路に架かる橋。この先を右折します。右、水路伝いに歩いた後、ここを左折です。

 

 国道へ

 街道は、この先で国道1号線と合流します。道の様子は、旧国道といった状態で、動脈のメイン道路は、この位置の、少し手前で「横浜新道」へと変わるのです。

 

f:id:soranokaori:20220412154509j:plain

※国道と合流する街道。

 

 緩やかな坂道の国道を、東へと進んで行くと、高架の道路が現れます。街道は、一旦国道をそれ、高架道路の下に続く道に入ります。

 

f:id:soranokaori:20220412154545j:plain

※国道をそれて、側道に入ります。

 

 赤関橋

 側道をしばらく進み、その後、「平戸永谷川」と記された小さな橋を渡ります。その先は、赤関橋の交差点。ここで、国道と合流し、その先で、再び右方向の、川伝いの旧道に入ります。

 旧道に入った所には、「赤関橋」と記された、案内板がありました。古くから、この辺りには、赤関橋が架けられていたようですが、正しい位置関係は分かりません。川筋も改修を繰り返し、往時の姿を大きく変遷させているのでしょう。

 

f:id:soranokaori:20220412154606j:plain
f:id:soranokaori:20220412154629j:plain

※左、赤関橋交差点と平戸永谷川の橋。右、赤関橋。

 

 東戸塚

 川伝いに、道なりに進んで行くと、東戸塚駅入口交差点を迎えます。国道を横断する交差点ではありますが、街道自体が細道のため、大きなものではありません。私たちは、国道を横切って、真っすぐに、東戸塚方面に向かいます。

 

f:id:soranokaori:20220412154701j:plain

東戸塚駅入口交差点。

 

 国道を越えた後、しばらくは、真っすぐに、水路伝いに歩きます。やがて、信号のない、広いスペースの三叉路に行き着くと、街道は、斜め右方向の住宅街へ。ここを、左の方に進んで行くと、JR東戸塚駅があるようです。

 

f:id:soranokaori:20220412154727j:plain
f:id:soranokaori:20220412154805j:plain

※左、三叉路辺り。街道は、右方向の細い道。右、住宅街を通る街道。

 この後、街道は、住宅地の中を進みます。少し複雑な道筋ですが、所々に道案内の標示があり、迷うことはありません。

 やがて、急勾配の坂道に向かって行くと、その先は、環状2号線の道路です。街道は、その道に架けられた、歩道橋を進みます。

 

f:id:soranokaori:20220412154826j:plain

※環状2号線へと向かう坂道。上方に見える歩道橋が東海道の道筋です。