旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]101・・・戸塚宿へ

 国道と街道

 

 藤沢宿を後にした街道は、上り下りを繰り返す、丘陵地の道に入ります。現在の道筋は、概ね国道1号線に沿った道。交通量が激しくて、往時を偲ぶことはできません。

 遊行寺の坂を上った先は、もう、横浜市戸塚区です。複雑な地形を呈する横浜の街。変化に富んだ街道が、私たちを迎えます。

 

 

 遊行寺

 江戸見附を過ぎた後、街道は、遊行寺の坂道を上ります。狭い歩道の坂道ですが、木々の緑に覆われた、気持ちの良い道筋です。

 

f:id:soranokaori:20220407153230j:plain

遊行寺の坂道。

 

 坂道の途中には、藤沢の一里塚の標識がありました。今は、遊行寺の小高い山と一体化して、塚がどこにあるのか分かりません。この辺りの道の様子は、往時の姿と、大きく異なっているのかも知れません。

 

f:id:soranokaori:20220407153249j:plain

※藤沢遊行寺の一里塚跡。

 

 一里塚からしばらく進むと、”遊行寺坂上”と表示された、小さな交差点を迎えます。ここから先は、一気に坂の勾配は緩まって、高台の街の様相に変わります。

 

f:id:soranokaori:20220410151349j:plain

遊行寺坂上の交差点。

 

 戸塚の街

 街道は、やがて、左後方からやってくる、国道1号線と合流します。この地点、東京までは、残すところ、あと49Kmの道のりです。次第に迫る、江戸日本橋を思い描いて、横浜市戸塚区の街に入ります。

 

f:id:soranokaori:20220410151439j:plain

※国道1号線との合流地点。

 国道と合流した街道は、しばらく、国道の側道伝いに歩きます。この道は、安全な生活道路になっていて、国道の喧騒を、しばし忘れさせてくれるようなところです。道端には、諏訪神社の境内もあり、ゆっくりと街道歩きを楽しみます。

 

f:id:soranokaori:20220410151500j:plain
f:id:soranokaori:20220410151521j:plain

※左、国道の側道伝いの街道。右、諏訪神社

 側道は、その先で、国道の歩道に変わります。ひっきりなしに往き来する、車の音を耳にしながら歩いていると、時折、松の木なども現れます。道路整備は進んでも、できるだけ、並木の保全を図る様子が感じられるようなところです。

 

f:id:soranokaori:20220410151544j:plain

※国道1号線伝いの街道。

 

 原宿

 やがて国道は、拡張工事の区間に入り、一気に視界が開けてきます。そして、迎えるのは、原宿の交差点。環状4号線と交差する、大きな交差点を通り過ぎ、原宿の沿道を東へと向かいます。

 原宿は、かなり大きな区域のようで、かつては、一つの村でした。名前から推測すると、藤沢宿と戸塚宿の間に位置する、間の宿(あいのしゅく)だったのかも知れません。丘陵地に広がる原宿は、かつては、見晴らしの良い街道筋だったことでしょう。

 

f:id:soranokaori:20220410151605j:plain
f:id:soranokaori:20220410151628j:plain

※左、原宿交差点。国道をまたぐ原宿第二歩道橋。

 原宿の一里塚

 国道は、やがて、勾配を増していき、一つの丘へと向かいます。坂道の左には、木々が茂る一角があり、そこは、浅間神社の境内です。都市の中の、心地よい緑の景色を眺めながら、坂道を上ります。

 一方、国道の右側は、大きな工事が進行中。どこまでも、開発が続く道筋です。

 国道が、丘の上へと達した辺りに、「原宿一里塚跡」の標示がありました。工事現場の防護壁が迫るところに、姿を見せる案内板。興ざめではありますが、どこか、一里塚の存在を、誇示しているようにも見えてきて、微笑ましく感じたものでした。

 

f:id:soranokaori:20220410151650j:plain

※原宿の一里塚跡。


 戸塚宿へ
 街道が、高台に上り詰めると、左側は眺望が開けます。密集した住宅や緑の林の小山など、都市の街並みが広がります。

 街道は、国道の大掛かりな工事が進む中、迂回路を辿るようにして、戸塚の宿場に近づきます。

 

f:id:soranokaori:20220410151714j:plain

※迂回路となった国道にある、”吹上”という名のバス停。

 

 大坂

 迂回路が、元の道に戻ったところに、「大坂松並木」と表示された案内板がありました。この辺りの道筋は、”大坂”と呼ぶようで、昔は、大変な急坂だった様子です。歩道際に設置された案内板には、次のような記載がありました。

 

 「大坂では天気の良い日に松並木から素晴らしい富士山が眺められることから、多くの浮世絵の画題となりました。昭和7(1932)年に坂の改修工事が始まり、頂上を削り、下の方は10米ほど土盛りをしてなだらかな長い坂にしました。現在の大坂になるまでは数回の改修が行われたそうです。」

 

f:id:soranokaori:20220410151735j:plain

※大坂の道。

 

 高台をしばらく進むと、街道は、国道1号線から右にそれて、旧国道へと入ります。この道は、大きく左に湾曲しながら、下り降りる坂道です。おそらく、この坂道が、現在の大坂なのだと思います。

 

f:id:soranokaori:20220410151837j:plain

※現在の大坂の道筋。

 

 上方見附

 大坂を下り切ると、平坦な道に変わります。戸塚の街をしばらく歩いて、宿場町へと向かいます。

 途中、コンビニのローソンがあり、その前に、「上方見附跡」の表示板と、安藤広重の浮世絵が、金属上に描かれた、大きな案内板がありました。大坂と富士山が描かれた、戸塚辺りの光景は、今では想像すらできません。懐かしい往時の様子を確認し、戸塚の宿場へと入ります。

 

f:id:soranokaori:20220411152825j:plain

上方見附跡。ここからが戸塚宿となります。

 戸塚宿

 戸塚の宿場は、今はほとんど、往時の面影はありません。旧国道を東に進み、その先で、かぎ型状に折れ曲がり、進路を北へと転換します。この屈曲点の内側は、富塚八幡宮の境内です(戸塚と富塚、よく似た発言です。戸塚の語源は、富塚だったのでしょうか)。この辺りだけ、わずかに、街道の雰囲気を感じます。

 その他は、概ね、住宅や店舗などが軒を連ねる道筋です。次第に、高層の建物も増えてきて、戸塚の街の中心地、戸塚駅へと近づきます。

 

f:id:soranokaori:20220410151914j:plain
f:id:soranokaori:20220411152834j:plain

 ✳︎戸塚宿の様子。