旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]100・・・藤沢宿と遊行寺

 藤沢あたり

 

 藤沢は、平塚や茅ケ崎と同様に、湘南海岸に面する街の一つです。有名な江の島は、藤沢市の領域にあり、その先の海岸線は、鎌倉、逗子、葉山など、よく知られた地名が続きます。

 鎌倉の海辺に広がる、七里ケ浜の海岸線。水辺伝いに線路をつなぐ江ノ電は、藤沢と鎌倉の両駅を結ぶ鉄道です。

 この辺りの地形の様子は、江の島から先、南東の方角に、三浦半島が突き出ています。そのために、街道は、半島の付け根となる、内陸側の丘陵地域を通らなければなりません。

 起伏が続く丘陵地、上り下りを繰り返し、戸塚宿や保土ヶ谷の宿場がある、横浜市へと向かいます。

 

 

 藤沢宿

 藤沢宿の中心地には、本陣跡や問屋場跡など、かつての宿場施設の位置を示す標識などが置かれています。今は、宿場町の面影は、ほとんど残ってはいませんが、こうした標識を見ていると、おぼろ気ながら、宿場の様子が浮かんでくるような気がします。

 

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※宿場の中心部の入り口辺り。

 

 藤沢宿の特徴は、標識の他、地中化された電線の地上機器に、絵や写真など、往時を偲ぶ資料などが貼り付けられているということです。数十メートルの間隔で、様々な情報を得ることができ、宿場の様子を想像しながら歩くことができるのです。

 資料の一つ、宿場の絵図を見ていると、京見附から、遊行寺近くの江戸見附まで、当時の建物配置がよく分かります。このように、一つひとつ資料を見ながら、藤沢の宿場町を歩きます。

 

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※地上機器に掲げられた藤沢宿絵図。

 宿場の概要

 ここで少し、藤沢宿の概要をお伝えしようと思います。次の記事は、この先の「ふじさわ宿交流会館」で頂いた資料中にあったもの。往時の宿場町の状況が、わずかながらも、浮かんでくるような内容です。

 

 「藤沢宿は慶長6年(1601年)東海道53次の6番目の宿場町として誕生しました。遊行寺坂(ゆぎょうじざか)の江戸見附から伊勢山橋の京方見附までの街道に当時の大鋸(だいぎり)、大久保、坂戸の3町で構成され、天保14年(1843年)頃には、宿場の人数は4089人、家数919軒、本陣、脇本陣各1軒、問屋場2軒、旅籠は45軒でした。」

 「藤沢宿は主要街道(東海道鎌倉道、大山道、滝山街道、厚木道)の分岐点として通行する人々で賑わい、特に大山詣りや江の島詣りの旅人の宿泊、遊興の場所として賑わいました。」

 「明治になって地の利を生かした問屋業を中心に発展、また農作物の集積場として肥料販売業や農作物を買い入れる米穀商が居を構え流通地として栄えました。」

 

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藤沢宿の中心辺り。

 

 本陣跡など

 街道が、緩やかに弧を描く辺りには、蒔田(まいた)本陣跡の標示とともに、古い木造建物の写真などがありました。

 道沿いには、この他にも、幾つかの古い写真が掲げられ、往時の宿場町の様子が伝わります。

 

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※左、本陣?の写真。右、本陣跡。

 しばらく進むと、今度は、桔梗屋の店蔵です。木造りの引戸や窓の細工が独特で、なまこ壁もあつらえた、一風変わった仕様です。明治期の建物ということですが、重厚感ある建前です。

 

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※茶・紙問屋を営んだ桔梗屋の店蔵。

 

 遊行寺橋と交流館

 道はこの先、大きく右方向(南)にカーブを描き、その後、藤沢駅や江の島に向かう道、国道467号線へと変わります。

 街道は、国道が南に向かう直前で、東方向に進路を変えて、遊行寺(ゆぎょうじ)の門前へと向かうのです。

 

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※左、右方向の歩道は、南へと向かう道。街道は、左の遊行寺橋へ。右、遊行寺橋。

 

 赤く塗られた欄干が、一際目立つ遊行寺橋。そのたもとには、なまこ壁の建物です。何の建物かは分かりませんが、橋とともに、趣ある景観をつくっています。

 街道は、遊行寺橋を渡った先で、遊行寺の門前に向かいます。そして、クランク状に屈折し、遊行寺の坂道に入るのです。



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遊行寺門前。

 

 遊行寺の門前には、江戸時代の意匠で建てられた「ふじさわ宿交流館」がありました。ここでは、宿場町の模型などを見ることができ、様々な資料も頂けます。建物の側面には、高札場も設けられ、街道情緒が味わえる一角です。

 

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※クランク状の街道。左の建物が交流館。高札場が置かれています。

 

 遊行寺(ゆぎょうじ)

 私たちは、この日の朝、平塚駅から歩き始めて、藤沢まで、14Kmの行程を終えました。この日は、藤沢の駅近くで宿をとり、次の日に、遊行寺から、歩き旅の再開です。

 

 翌日早朝、再び遊行寺の門前を訪れて、惣門から、いろは坂へと向かいます。松の木や桜などが植えられたいろは坂。48の大石段が設けられたところから、この名が付けられたということです。

 早朝の、清々しい空気を味わいながら、境内へと向かいます。

 

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※左、遊行寺惣門といろは坂。右、境内の大銀杏。

 遊行寺の境内は、広々とした敷地です。出迎えてくれたのは、見事な樹形の銀杏の大木。その姿には、しばらくの間、見とれてしまったものでした。

 境内の正面奥には、立派な本堂が構えています。厳かな空間の中、私たちは、本堂へと向かいます。

 

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遊行寺本堂。

 

 遊行寺は、一遍上人(いっぺんしょうにん)で有名な、時宗の総本山の寺院です。「南無阿弥陀仏」と、お唱えしながら、日本各地を巡られた上人のお話は、中学や高校の歴史の教科で学んだような気がします。

 このお寺、正式には、清浄光寺と呼ぶようですが、念仏遊行の寺院に因んで、一般に、「遊行寺」という名で知られています。

 

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※江戸見附跡。

 

 遊行寺の参拝を終え、私たちは、この日の街道歩のスタートです。街道は、遊行寺の境内を回り込むようにして、遊行寺の坂へと向かいます。

 坂の途中のところには、藤沢宿江戸見附跡の標示がありました。藤沢宿は、ここで東側の境界を迎えます。この先、丘陵地帯を通りながら、次の宿場の、戸塚宿を目指すのです。