旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]89・・・箱根の里へ

 東の坂道

 

 箱根の山の東側は、かなり厳しい坂道です。芦ノ湖がある盆地から、外輪山の峠に上り、その後は、一気に下り坂に入ります。今は、階段の場所もありますが、延々と、下りの道が続きます。

 私たちが箱根の山へと辿った道は、三島からの上り道。その道中も、坂また坂の大変な道でした。ところが、東への坂道は、西側以上に厳しい斜面の連続です。

 

 

 身替わり地蔵

 葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚を後にして、国道を東へと進みます。左には、芦ノ湖が見え、港の施設も近づきます。

 近代的な街が始まるこの場所は、元箱根と呼ばれています。その新しい観光の街の道路脇に、歴史を背負った、石像群の一角がありました。

 石像の中央には、お地蔵様が据え置かれ、説明板には、”身替わり地蔵”と書かれています。このお地蔵様の謂れについては、次のような言い伝えがあるようです。

 

 「源頼朝の配下であった梶原景季(かげすえ)がここを通った時に、平景時と間違えられ、誰かに斬りつけられました。ところが、地蔵様が身替りとなり、梶原景季は命拾いしたというものです。」

 

 お地蔵様をよく見ると、肩の辺りに割れ目があるのが分かります。これが、身替りの証なのでしょう。道端に密かに佇む史跡から、不思議な、伝説じみたお話を知ることができました。

 

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※身替わり地蔵。

 

 一の鳥居

 元箱根の港には、駐車場やバスの中継所などが整備され、芦ノ湖観光の中心地となるところです。その施設前の国道には、箱根神社の’’一の鳥居"が道路を跨ぎ、箱根を代表する景色を作っています。

 街道は、一の鳥居を潜らずに、その直前で、右方向の上り坂に入ります。この後、国道とはしばらく別れを告げて、古くからの道を伝って、箱根湯本へと向かうのです。

 

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※一の鳥居と東海道。左の道が国道で、斜め右に向かっているのが街道です。

 

 舗装道から旧道へ

 しばらくの間、蛇行する、舗装された坂道を上ります。道の脇には、杉の並木が姿を現し、箱根の道の趣きを感じます。

 そこそこ急な上り坂。それほど長くはない坂道だと、自分自身に言い聞かせるようにして、一歩一歩進みます。

 やがて、街道は、舗装道から斜め左の方向へ。地道の旧道へと向かいます。

 

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※元々の旧街道の道。

 

 ここからは、往時のままの姿を残す、旧街道に入ります。時折、階段や橋なども設けられてはいるものの、辺りは木々が覆い、土道や、石畳の道が続きます。

 

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※橋や、木の柵が設けられた街道。

 

 峠への道

 街道は、権現坂と呼ばれている、石畳の坂道を上ります。この道は、外輪山の峠へと向かうのですが、前日に、箱根峠を下ってきた、挾石坂と比べると、比較的緩やかな勾配です。

 前日の疲れも癒えて、朝の涼しい空気の中を、心地よく歩きます。

 

 箱根八里の歌碑

 しばらく進むと、道端に、少し変わった形をした、石の碑が目につきました。この石碑、箱根八里の歌碑だそうで、よく耳にする、「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」の歌が刻まれたものでした。

 私はこれまで、この一節は、東海道の難所を告げる、慣用句だと理解していましたが、実は、馬子唄の一節だということを、この時はじめて知りました。

 

 峠の道は、馬に乗ったり、駕籠に揺られた旅人も、少なくはなかったと思います。厳しい坂であるからこその、馬を曳く生業(なりわい)に力を尽くした馬子たちは、峠越えはいつの日も不可能ではないのだと、誇りを持っていたのでしょう。

 この馬子唄の一節は、自らの仕事に対する自信の所在を、鼓舞するような内容に思えます。

 

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※左、権現坂の様子。右、箱根八里の歌碑。

 峠を越えて

 やがて、街道は峠を迎えて、その後は、下り坂に変わります。一気に下る街道は、谷底に落ち込むようなところもありますが、まだこの辺りには、緩やかな坂道もあったような気がします。それでも、次第に標高を下げ、相模の里を目指します。

 

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※石畳の急な坂道。

 

 山の中の旧街道を進んだ先に、突然、舗装道路が現れます。この道は、国道と、有料の箱根新道の間を走る県道で、箱根の山に点在する、集落間をつないでいます。

 国道は、北方向の尾根を越えた向こう側。芦ノ湯や強羅などの有名な温泉地、或いは、小涌園など、有名な観光施設も、国道の沿線近くに位置しています。箱根駅伝のコースもまた、国道を辿っているのです。

 どちらかと言えば、裏道のような県道沿いは、賑やかさはありません。静かな、落ち着いた道が流れています。

 

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※左、旧街道が県道に出くわす地点。右、県道を越えて先に進む山道の街道。

 甘酒茶屋

 街道は、県道を横切って、再び山の中に入ります。この先は、勾配は少し緩まるものの、足元は、少し荒れた地道です。道幅も、幾分狭くなり、山道のような状態です。

 しばらく、緩やかな道を進んでいくと、右側に、茅葺屋根の建物が見えました。街道から、建物の方を窺うと、縁側に腰掛けて、お茶をたしなむ人の姿です。私たちも、丁度良いタイミングということで、裏口から敷地に入り、少しの間の休憩です。

 

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甘酒茶屋の裏側。

 

 茅葺の趣ある建物は、甘酒茶屋と呼ばれています。甘酒や、甘いお菓子もいただける、昔の喫茶店のようなお店です。

 ここには、街道歩きの方の他にも、県道伝いを往き来するドライブの方たちも、数多く立ち寄られている様子です。後々分かったことですが、この施設、テレビのドラマなどでもよく登場していて、知る人ぞ知る、有名なお店なのだと思います。

 

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※県道側から見た甘酒茶屋

 

 私たちは、お餅をいただき、ひと時の安息の時間を過ごします。山間に、今も残る茶屋の姿を愛でながら、往時の面影を偲びます。

 

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甘酒茶屋でいただいたお餅。

 

 甘酒茶屋のことについては、敷地内に設置された説明板に、その歴史などが書かれています。元々、箱根地域の9か所に茶屋があり、この地には4軒が営まれていたということです。今では、ここ1軒だけですが、それでも、古くからの建物が、その姿を残しつつ、営業までされているとは、驚きでしかありません。

 それは、その通りであるとして、私がさらに驚いたのは、説明板に、大正時代の街道と甘酒茶屋が写る写真が掲載されていたことです。木造の壊れそうな建物には何人かの人の姿も写っています。よく見ると、人々は、マスク姿の様子です。スペイン風邪が流行したのは、1918年から1920年。恐らくそれは、その頃の写真でしょう。

 店の前には、地道の街道が通過して、向かいには長椅子も見られます。鶏が道に群がり、のどかな山の中の店の様子を写しています。

 

 100年の時を越え、古の懐かしい風景を味わいながら、先の行程に向かいます。

 

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甘酒茶屋の説明板。カラーの方は、江戸時代の様子の絵。下方の白黒写真が、大正時代の様子です。