旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]85・・・スカイウォークと山中城

 峠への道

 

 峠に向かう街道は、上り坂の連続です。次から次に、姿を変えた坂道が現れて、体力を奪います。

 石畳の坂道や、土道の凹凸が激しい坂道などもありますが、国道の単調な道筋は、かえって疲れを誘います。着実に、峠に近づいてはいるものの、思うほど容易な道ではありません。

 難所と言われる、箱根八里の山越えの厳しさを、今更ながら、実感したものでした。

 

 

 スカイウォーク

 街道は、三島スカイウォーク前の、導入路の歩道に入ります。その左側が、スカイウォークの駐車場。歴史ある街道と、近代的な観光地とのコントラストに違和感を覚えつつ、妙に感慨じみた空気感を、味わうことになりました。

 私たちは、ここでしばらくの休憩です。昼食のおにぎりを食べ、次への体力を養います。

 

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※左、スカイウォーク前の道路。右の歩道が東海道です。右、スカイウォークの正面入り口と駐車場。

 

 三島スカイウォークは、全長400メートルもある、日本一長い歩行者専用吊り橋です。駿河湾や富士山など、その絶景を味わうために、観光施設として開発されたところです。この施設には、吊り橋の他、アスレチックスや併設のお店なども多くあり、シーズンには、観光客で賑わいます。

 今や、三島・箱根地域の、一大観光地と言っても過言ではないしょう。

 

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※私たちが街道歩きをするおよそ1月前、たまたま、息子家族とスカイウォークを訪れた時の1枚です。この時は絶景の富士山が見えました。

 

 実は、今回の訪問の1月ほど前のこと、理由あって、私たちは、息子家族と、この施設を訪れました。その時は、絶好の快晴で、富士山や駿河湾など、見事な景色を味わうことができたのです。

 ところが、今回は、少し雲が多めです。と、いう訳で、スカイウォークの写真については、1月前のものを利用させていただきます。

 

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※全長400mの吊り橋。

 駿河湾

 スカイウォークからの絶景は、駿河湾も見事です。湾に沿った街道を、これまで歩いてきましたが、今、目に止まる景色の中には、中央奥の清水の街(江尻宿)や、由比、蒲原なども望むことができるのです。

 さらに、愛鷹山の陰に隠れた富士市(吉原)を通過した後、原宿や沼津を通り、三島の街に至るルートも、目の前に広がります。

 足跡を辿るだけで、感慨深く眺めてしまうこの景色。いつまでも、その場を離れることができません。

 

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駿河湾の絶景。

 再び山道へ

 スカイウォークを後にして、前面道路の歩道伝いの、東海道に戻ります。街道は、その先ですぐ、山道に入ります。入り口辺りは、石畳が敷かれている、緩やかな坂道ですが、次第に急勾配に変わります。

 この近くには、国道1号線が、つづら折れの状態で、箱根峠を目指しています。街道は、蛇行する国道を嘲笑うかのように、ひたすら真っすぐ、直線的に箱根峠を目指すのです。

 

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※スカイウォークを出た後の街道。

 石畳の坂道は、時に、歩きやすい感覚を受けることがありますが、この先は、少し凸凹とした状態だったように思います。歩きにくさを感じつつ、勾配を増す坂道をゆっくりと進んだような気がします。

 やがて、擬木でできた、階段に行き当たり、そこで一気に標高が上がります。

 

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※街道に設けられた擬木の階段。

 芭蕉の句碑

 階段を上った先は、国道の旧道のような舗装道。そこを横切り、真っすぐに山の方へと向かいます。

 舗装道を渡った先には、存在感ある、芭蕉の句碑がありました。

 

   霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き

 

 この句は、1684年の旅の途中に詠まれたということです。江戸から故郷の伊賀に向かう、『野ざらし紀行』の旅の中の一句です。

 私たちがここを歩いた時も、富士山は、雲の向こうに姿を隠していましたが、そのような状態でも、箱根の風景は雄大で、素晴らしく感じます。

 

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※左、車道を横切り、向かいの山道に進みます。右、芭蕉の句碑。

 山中城

 街道は、国道1号線を横切りながら、ほぼ真っすぐに続きます。途中、ほんのしばらく、車道に沿って歩いていくと、すぐ右側に、旧道の入口です。

 ここから再び、山の中の石畳道に入ります。

 

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※しばらく車道の歩道を歩き、右に入る旧道へと進みます。

 

 八里記念碑

 杉木立の中の石畳道。木漏れ日を受けながら、心地よく歩きます。途中、石畳の道端には、司馬遼太郎の石碑がありました。よく見ると、八里記念碑と題されたこの石碑。そこには次の一文が。

 

 「幾億の足音が 坂に積り 吐く息が谷を埋める わが箱根こそ」

 

 小説『箱根の坂』の一文のようですが、北条早雲の息吹がかかる箱根の坂は、戦国時代へと突き進む、混沌とした時代の流れを、見つめ続けていたのでしょう。

 

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※八里記念碑と石畳の街道。

 

 山中城

 石畳の街道をさらに進むと、山中城跡と表示された駐車場。そして、その先の道路を越えた左手に、城跡の入口のような木柱の門がありました。

 山中城は、戦国時代の1558年から10年ほどの年月をかけて築城された山城です。小田原城主の後北条氏北条早雲を祖とする家系)が築いたものですが、石を使わない構造は珍しく、貴重なものだということです。

 この山中城豊臣秀吉の小田原攻めを前にして、落城してしまいます。箱根の坂で、西国の天下取りたちの侵攻を食い止めきれず、その後、小田原も陥落することになるのです。

 歴史の音を感じながら、私たちは、次の坂道に向かいます。

 

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山中城跡の駐車場と入口。