竜飛岬
津軽の旅は、半島の北の端、竜飛岬へと向かいます。本州の最北端は、下北の大間崎。竜飛岬は、位置的には、下北より南にありますが、北の地の裏寂しい風景が、脳裏に浮かんでしまうのは、津軽という、地名の響きがなせる技かも知れません。
津軽とは、アイヌ語が語源だという説がある他に、津加留(つかる)と読んで、都から遠く離れたところ、という和語の説など、色々とその謂れはあるようです。ことほどさように、この半島は、神秘的な響きなどを感じてしまうところです。
さらに、「津軽半島冬景色」で歌われる、侘しくて悲しいメロディーは、日本人の津軽に対する感覚を、決定づけているように思います。
ただ、この土地は、かつては自然の食糧がいたって豊富で、北海道やその他に暮らす人にとっては、ある種、憧れの場所だったとも言われています。近年、発掘が進んだ縄文遺跡は、そのことの証なのかも知れません。
司馬遼太郎は、津軽を含む北の地を「北のまほろば」と形容し、津軽の歴史や文明について、熱く語りかけているのです(『街道をゆく41』)。
最北の、厳しい自然に、耐え忍ばなければならない土地が、住み良くて、秀でた場所であったとは、驚きという他ありません。複雑な思いを抱きながら、北の岬を目指します。
※義経寺から竜飛岬方面を望みます。
義経寺
義経寺(ぎけいじ)は、三厩(みんまや)の海岸線から、少し高台に上った位置にあり、山の斜面に境内が広がります。『津軽』では、太宰治は、旧友のN君と義経寺を訪ねます。
義経寺は、本堂の横に広い駐車場を有しています。崖下の国道沿いにも駐車場はあるようで、時によっては、たくさんの人達が訪れてくるのでしょう。
※義経寺仁王門。”龍馬山”と記されています。
三厩伝説
ここで、少しだけ、源義経の伝説に、触れなければなりません。
『津軽』では、『東遊記』という書物を引用し、次のように記しています。
「むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所迄来り給ひしに、渡るべき順風なかりしかば数日逗留し、あまりにたへかねて、所持の観音の像を海底の岩の上に置て順風を祈りしに、忽ちかはり恙なく松前の地に渡り給ひぬ。」
北海道の松前に渡った義経が、後に、大陸に足を伸ばして、ジンギスハンになったとの言い伝えを耳にしたことはありますが、話の飛躍に滑稽さすら覚えます。
太宰治は、この伝説を羞恥の思いで受け止めて、早々に、義経寺を後にすることになるのです。
この後に、『津軽』では、三厩の謂れについて触れられた箇所がありますが、そこは、司馬遼太郎の『街道をゆく』を、少し引用させていただきます。
「国道の周辺が公園ふううに整えられて、すぐそばの山ぎわに、「厩石公園(まやいしこうえん) 三厩村」と掲示板があげられている。かつては海中にあって浸食を受けた大きな岩礁が、公園の主役である。岩礁のかたちは奇怪で、三つの洞がうちぬかれていて、柱もある。・・・それが”厩石”である。」
「義経らは、ここから津軽海峡を渡ろうとしたが、海が荒れて術がなく、やむなく念持する観音に祈願した。満願の暁、夢に白髪の翁が立ち、竜馬を三頭あたえよう、という。目がさめて、右の厩石の洞をのぞくと、三頭の竜馬がつながれていた。それに乗って海峡を渡ったという。」
つまり、義経寺の崖下にある三つの洞(ほこら)に、義経が海峡を渡るための馬がつながれていた、との伝説が、3つの厩(うまや)→三厩、になったというのです。
義経渡海
岩手県の平泉、高館(たかだち)の丘において、最期を迎えたはずの義経が、弁慶とともに生き延びて、三厩にやってきたとは、想像をはるかに超えた伝説です。
それでも、まことしやかにその伝説が地名となり、義経の名前を冠した寺院もあることに、何となく、ロマンを感じてしまいます。
竜飛岬へ
私たちは、義経寺での参拝を終え、一路竜飛岬に向かいます。
岬までの道筋は、海岸伝いの国道と、山際を進む県道がありますが、国道への下り口を間違えて、結局最後まで、県道伝いにドライブをすることになりました。この県道は、”あじさいロード”と名付けられ、時期によっては、見事なアジサイの花が見られるところです。
竜飛岬
義経寺から、10kmほど進んだ所で、国道が左右に延びるT字路を迎えます。そこを右に折れ、坂道を下った先に、台地状の広い空間が現れました。
この辺りが竜飛岬。灯台の姿も見えました。
※石の碑は、「津軽海峡冬景色」の歌詞の碑。左上方に灯台が見えます。
歌碑
竜飛岬の台地には、広い駐車場が設けられ、その右前方の崖地のところに、「津軽海峡冬景色」の歌詞が刻まれた石の碑がありました。
この石碑、観光地でよく見かけるように、前面にあるボタンを押すと、石川さゆりの歌声が鳴り響きます。本場で聞くこの歌は、いつまでも聞いていたくなるように、吹く風が、歌の音を弱めては増幅させて、哀愁を誘います。愛おしい響きを奏でるこの歌は、訪れた人々の心を惹きつけて止みません。
※「津軽海峡冬景色」の歌碑。
歌碑が置かれた岬の奥に少し進むと、下には、龍飛の港が見えました。遠方を望んでみると、かすかに陸地もあるようです。この岬の先は、北海道。この距離ならば、古くからの人々の往来も、不可能ではなかったと思います。
※遠方には北海道が望めます。
太宰治が見た竜飛
私たちは、哀愁の地の雰囲気に、離れ難い思いを抱きつつ、岬上の高台から、急な斜面を車で下りて、太宰治が訪れた、竜飛の村へと向かいます。