旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]80・・・原宿から沼津宿へ

 沼津へ

 

 駿河の国の東端に位置する沼津の街は、東海道12番目の宿場町。伊豆の国に隣接し、伊豆半島西側の玄関口でもある街です。

 沼津から、愛鷹山の東の麓を北上すると、裾野市御殿場市、さらには、山中湖方面にも繋がります。幾つもの道が放射状に延びていく、駿河東部の起点の街とも言えるでしょう。

 沼津市は、また、港町としても有名です。駿河湾を漁場とした、多くの漁船や、様々な船舶が、沼津港に集積します。 

 

 

 原宿を東へ

 原の宿場は、白隠禅師*1ゆかりの寺院、松陰寺から、まだ1Kmほど続きます。今は、住宅が連なる狭い道。宿場町の面影を感じることはできません。

 やがて、宿場町の東の端、東見附を確認すると、その先は、JR東海道本線の踏切です。今度は、この踏切を、北から南に渡ります。踏切を過ぎたところは、空が開けて、見晴らしの良いスポットです。左後方を眺めると、愛鷹山(あしたかやま)に裾野の一部を隠された、美しい富士山の姿がありました。

 

f:id:soranokaori:20211116160315j:plain
f:id:soranokaori:20211117173253j:plain

※左、原宿の東見附を過ぎたところ。右、踏切を渡り振り向いたところの風景。

 幾つかの集落

 踏切を通り過ぎ、再び住宅が連なった、町中の道を進みます。この道は、東西に真っすぐ延びる直線道路で、板塀やブロック塀の住宅が並びます。特徴的な風景は、道沿いに植えられた、庭木の緑。様々な庭の木々がつながって、さながら、並木道のような状態です。

 心地よい、緑の潤いを感じながら、集落から集落へと歩きつないで、沼津の宿場に近づきます。

 

f:id:soranokaori:20211117173312j:plain

※街道沿いの集落の様子。

 

 街道は、どこまでも真っすぐに、東へと向かいます。町の様子は、少しずつ変化しているようですが、相変わらず、道沿いに植えられた、庭木の緑の連続は、気持ちよい空間を作ります。

 

f:id:soranokaori:20211117173337j:plain

片浜駅付近の街道。

 

 やがて、住宅の敷地が狭まリ、民家の密度が増してくると、街道も、心無しか窮屈に感じる道へと変わります。ところどころに、銀行や大型店の看板も目に止まり、辺りは、次第に賑やかさが増してきたような気配です。

  

f:id:soranokaori:20211117173357j:plain

※沼津の市街地に近づく街道。

 

 西間門(にしまかど)

 真っすぐに進んできた街道は、この先に、大きな交差点を迎えます。三つの信号が連なった、複雑な道の交わりは、沼津の市街地への玄関口。三つ目の、西間門の信号を越えた後、街道は、広々とした幹線道路に入ります。

 

f:id:soranokaori:20211117173416j:plain

※3つの信号が並ぶ、大きな交差点。右方向から合流している道は、駿河湾伝いに走る県道です。

 

 ここで、少しだけ、「間門」について触れてみたいと思います。そもそも、西間門の交差点では、この名は、珍しい地名だとの印象を受けました。字面だけを見たときは、「門」の字が付いているため、宿場町との関係を、思い浮かべたものでした。

 ところが、この私の推測の間違いを、西間門の交差点の近くに置かれていた説明板が、早々に、正してくれることになったのです。

 その説明板、以下のような内容で、「間門」の由来を記しています。

 

 説の一つは、この地の南の駿河湾で、「天竺摩伽陀国」と彫られた閻魔(えんま)大王の像が網にかかり、村人が、その像を安置して、お祀りしたというお話が伝わっていて、摩伽(マカダ)が、「マカド」になったというものです。また、もう一つの説は、アイヌ語の「マカ」は開くという意味で、「ト」は湖水を意味しているため、この辺りの昔の地形と関係しているという説です。

 

 以上のような内容ですが、アイヌの言葉が、この辺りにもその名残を伝えていたとする説は、私にとっては、驚きでした。青森などでは、アイヌ語由来の地名については、珍しくはないのですが、東北から、遠く離れた駿河の国でも、遠い昔は、アイヌの影響があったのか、と、興味を惹かれたものでした。

 

f:id:soranokaori:20211125132403j:plain

※間門についての説明が記された案内板。

 

 市街地へ

 間門の地を通り過ぎ、市の中心部へと向かいます。東西に延びる街道は、道幅の広い県道です。沿道は、完全に整備が行き届いた状態で、街道の面影はありません。ところどころに、寺院などが見られるものの、あとは、新しい住宅などが並びます。

 私たちは、並木がつながる歩道に沿って、 さらに東を目指します。

 

f:id:soranokaori:20211117173502j:plain

※市の中心部へと向かう街道。

 沼津宿

 県道をしばらく進むと、大型店やマンションなどが見られる地域に近づきます。浅間町の交差点に差し掛かったところでは、左前方に、落ち着いた雰囲気の神社の森が見えました。

 この神社は、丸子神社・浅間神社と呼ばれていて、2つの神社が隣り合わせに祀られているようです。

 

 東海道12番目の宿場町、沼津の宿場の入口は、浅間神社の少し手前にあったとのことですが、今はもう、町の姿は大きく変わり、宿場町に入ったという感覚はありません。

 前の宿場の原宿から、およそ6Kmの道のりを歩き継ぎ、静岡県東部の中心地、沼津の市街地に入ります。

 

f:id:soranokaori:20211117173522j:plain

浅間町交差点。左の森が浅間神社

 

 浅間町交差点を東に進むと、間もなく、次の交差点が現れます。ここから、さらに東に向かうと、狩野川に架けられた、永代橋。そして、橋の手前を右に折れると、その先が、観光地としても有名な、沼津港という位置関係の地点です。

 街道は、この交差点を左折です。左折した先に続く道筋は、本町通りと呼ばれていて、市街地の中心部に入ります。

 

f:id:soranokaori:20211117173545j:plain

※この交差点を左折して、信号を渡り、奥に続く本町通りに進みます。

 

 本町通りは、宿場町の中心地でもあった場所。この道沿いに、3軒の本陣があったということです。今は、本陣跡の石碑だけが、往時の様子を伝えています。

 

f:id:soranokaori:20211117173607j:plain
f:id:soranokaori:20211117173627j:plain

※左、清水本陣跡。右、高田本陣跡。

 この日、JR吉原駅から歩き始めた街道歩き。田子の浦を右に見ながら、原宿を経て沼津の宿場に到着です。

 私たちは次の日に、沼津を発って、伊豆の国、三島宿を目指します。

 

*1:はくいんぜんじ。この方については、前回の「歩き旅のスケッチ」で、少し触れさせていただきました。