旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]72・・・蒲原宿へ

 静岡市の最後の宿場

 

 街道は、次の宿場の蒲原宿(かんばらじゅく)に向かいます。直前の由比の町と、この次の蒲原は、かつては、それぞれが単独の自治体でした。それでも、遂には合併の波が押し寄せて、静岡市の一部になったのです。

 合併により市域を広げた静岡市、今では、6か所もの宿場町を抱えています。蒲原宿は、その最も東の宿場です。

 街道は、この先で、静岡市を後にして、今は富士市に属している、富士川の町に入ります。

 

 

 蒲原へ

 由比の町を発った後、街道は、左から、山の裾を迂回してきた県道と合流します。その後しばらく、この県道の歩道を東進です。道沿いは、民家が軒を連ねる中に、小さなお店や事業所なども点在します。

 地域の名前は、街道が県道と合流した辺りから、既に、由比から蒲原へ。いつの間にか、次の町に足を踏み入れ、歩く調子も、軽快さを増してきたように感じます。

 

f:id:soranokaori:20211027152838j:plain

※蒲原の西部地域の街道。

 

 それほど交通量が多くはない県道を、東へと進みます。町並みは、依然として新旧の住居が建ち並び、左側の住居の奥には、小高い山並みが迫ります。

 合流点から、数百メートル歩いた辺り、由比を離れて、それほど時間が経たないうちに、右側に、広い空き地が現れました。その奥には、ちょっと殺風景な建物が。よく見ると、その建物は、JR蒲原駅との表示です。

 蒲原には、蒲原駅新蒲原駅の2つのJRの駅があり、宿場町は、新蒲原駅の近くです。私たちは、蒲原駅を右に見ながら、さらに先へと向かいます。

 

f:id:soranokaori:20211027152918j:plain

蒲原駅

 蒲原宿へ

 道沿いは、相変わらずの風景ですが、この先には、銀行や警察署などの表示が見られ、蒲原の中心地のような町へと変わります。

 歩道橋を過ぎた先の右手には、「蒲原生涯学習交流館」の建物です。建物前の道に面した所には、東海道や蒲原の宿場の案内などもあったように思います。私たちは、交流館に立ち寄ることなく、新蒲原へと向かいます。

 

f:id:soranokaori:20211027153105j:plain

※蒲原の中心部辺り。

 

 県道は、ほぼ真っ直ぐの道路です。やや単調な道ですが、蒲原の宿場が近づいて、新蒲原の駅が迫る雰囲気を感じながら、この日の最後の区間を歩きます。

 やがて、県道が、左に大きくカーブする地点を迎えると、そのカーブの起点あたりに、蒲原宿の入口を示す標識ありました。

 蒲原の宿場町は、この位置を左に折れて、住宅地の奥へと入ったところ。ただ、私たちのこの日の街道歩きは、宿場へとは向かわずに、この地点で終了です。

 興津(おきつ)の宿場のはずれから、薩埵峠(さったとうげ)、由比宿を経て、蒲原宿の入口に。およそ13Kmの行程でした。

 

f:id:soranokaori:20211027153135j:plain
f:id:soranokaori:20211027153659j:plain

※左、県道がカーブを迎えるところ。右、左の写真の中央左に設置されている宿場の案内板。

 再開

 蒲原宿の入口で、行程を終えた後、新型コロナウイルスが感染拡大の兆しを見せ始め、とうとう、第3派の波が押し寄せました。そのために、街道歩きはしばらく中断せざるを得ない状況に。次回、蒲原に戻ってきたのは、4か月が経過した、今年(2021年)の2月後半のことでした。

 

 私たちは、新蒲原の駅前から、県道伝いを西向きに少し戻って、蒲原宿の入口に入ります。

 

f:id:soranokaori:20211027153407j:plain

※宿場の入口を示す案内表示。

 蒲原宿

 県道から、ほぼ直角に北に折れ、街道は宿場町へと入ります。正面の丘を見ながら、北に向かう道沿いは、道幅こそ、往時の感じが残っていますが、家並みは、どこにでもある住宅地の風景です。

 

f:id:soranokaori:20211027153721j:plain

※宿場の入口から北へ向かう街道。

 

 しばらく進むと、道は右方向へ。再び東へと向かいます。県道と並行して延びている東西の街道は、これまでと、少し趣が異なります。木造の、二階建ての住居が目立ち、どことなく、宿場町の空気が漂う家並みです。

 

f:id:soranokaori:20211027153743j:plain

※東へと向かう宿場の街道。

 

 志田家住宅

 右手に見えた、歴史的な建物は、国の登録文化財、志田家の住宅の主屋です。志田家は、山六(やまろく)という屋号で、味噌や醬油の醸造を営んでいたとのこと。現在の建物は、安政元年(1854)の大地震の後に再建されたということです。

 建物前面の構造は、蔀戸(しとみど)という、珍しいもののようですが、私には、うまく説明はできません。それでも、歴史の香りが漂うような、趣を感じます。

 蒲原の宿場町全体は、既に、新しい住宅などがその領域を広げてはいるものの、ところどころに、このような、歴史ある建物が今も残っているのです。

 

 

f:id:soranokaori:20211027153805j:plain

※志田家住宅。

 

 旧五十嵐歯科医院

 志田家から、少し先の左手には、今度は大正風の建物です。こちらも、国の登録文化財。旧五十嵐歯科医院の建物です。

 説明書きには、「外観は洋風で、内観は和風という、ユニークな建物」と記されている他、名医として知られた歯科医師の館だったと書かれています。

 

f:id:soranokaori:20211027153854j:plain

※旧五十嵐歯科医院。

 

 街道は、この先、蒲原宿の中央へ。蒲原城や寺院に向かう坂道が、右手から左に向けて街道を横切るところは、少し広くなった交差点。その交差点を右折した先が県道で、新蒲原駅は、その先です。

 宿場町は、交差点からさらに真っ直ぐ延びる道沿いに、まだしばらくの間、続きます。

 

f:id:soranokaori:20211027154014j:plain
f:id:soranokaori:20211027154047j:plain

※宿場の中央辺りの交差点。右の写真の前方は、新蒲原駅方面。