旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]69・・・薩埵峠と富士の絶景

 富士の絶景

 

 東海道53次の浮世絵で、風光明媚な景観が描かれた、代表作とも言えるのが、薩埵峠(さったとうげ)から富士山を望んだ一枚です。

 左には、急峻な崖がそそり立ち、その中腹の、僅かな隙間に張り付くような街道を、数人の旅人が往き交います。右側は駿河湾。幾艘かの帆を広げた木の船が、凪の海辺に浮かびます。富士山は、真っ白く雪をいただき、控えめに、崖地と海の間にその姿を現します。

 この浮世絵の景観は、まさに今でも、薩埵峠から望めます。浮世絵とたがうことなく実在する、峠からの眺望は、絶景というにふさわしい、日本を代表する景色です。

 

 

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※峠からの富士山の絶景。

 

 足利尊氏

 薩埵峠への街道は、緩急の勾配を繰り返す坂道です。集落内の狭い道を通り抜けたその先は、みかん畑や斜面の畑地が続きます。

 所々に、分かれ道がありますが、道の角には、標識が置かれているため、迷うことはありません。両脇を斜面に挟まれるような恰好で、街道は峠へと向かいます。

 

 峠への道を歩いていると、道中に置かれている、幾つかの手作りの案内板が目に止まります。この案内板、読んでみると、足利尊氏に関するものでした。街道沿いの小字(こあざ)の地名と、その謂れが記されているのです。

 例を挙げると、”舞台”や”殿ノ入”という地名です。何れも、足利尊氏と弟の足利直義とが争った、「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」(1350年~52年)に関するもの。この辺りで陣を築いた尊氏に由来する”殿ノ入”と、尊氏の愛妾である、萬城姫が舞を舞った”舞台”とが、地名に転化したというのです。(下の写真にもあるように、萬城姫の絵も置かれています。)

 

 この先に、素晴らしい眺望が広がるはずの、薩埵峠辺りでも、過去には、戦の舞台になったのかと、ある種不思議な思いを抱きながら、峠への道を急ぎます。

 

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※峠に向かう街道と、足利尊氏に関する案内板。

 

 峠へ

 街道は、やがて、墓地の間をすり抜けて、峠道へと入ります。この墓地の手前には、公衆用のトイレもあって、体調を整えるのに、絶好の場所となりました。

 

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※山道の入口。

 

 山道に入った先は、急勾配の坂道です。峠に挑む道とあって、森の中に吸い込まれていくようなところです。厳しさが予感される街道は、どれほどの厳しさなのか、少し不安がよぎります。

 そんな思いを抱きながら、しばらくの間、暗くて急な坂道を上って行くと、視線の先に青空が望めるようになりました。気がせくように光を追うと、やがて、木々の向こうに、駿河湾が広がります。意外と早く眺望が開けたことに、胸を撫でおろしつつ、もう一息の、上り坂に向かいます。

 

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※左、峠への山道。右、眺望が開けて、駿河湾が望めます。

 薩埵峠(さったとうげ)

 あと少し、坂道を上っていくと、やがて、右方向の平坦な道に入ります。その先に、僅かに広いスペースができていて、そこがもう峠です。

 薩埵峠までの道のりは、案外たやすいものでした。ここまでの道のりは、思っていたほど厳しくはなく、ほどほどの傾斜が続く、散策コースといった感じです。

 峠には、幾つかの道標や石碑などが立ち並び、景勝の地の雰囲気を高めます。

 見渡すと、後ろには、三保の松原砂州のとってが海に延び、前方右には、伊豆半島が太平洋に突き出します。駿河湾はどこまでも青く広がり、水平線へとつながります。

 正面の、湾と陸地の境目は、田子の浦の砂浜です。百人一首にも詠まれた景勝地。峠からの眺望は、どちらを見ても、超一級の景観です。

 

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薩埵峠。

 

 富士山

 峠からの絶景は、駿河湾だけではありません。まさに、雄姿を誇る富士山は、峠からの眺望の、醍醐味といって良いでしょう。富士山は、これまでも、何回か姿を現していましたが、薩埵峠から望む富士山は格別です。

 この後も、富士市や沼津、箱根などから、富士山の姿を見ることができますが、おそらくは、この地に勝るところは、それほど多くはないと思います。

 

 昨日までの雨模様の天候が、この日は一転、快晴の空となりました。峠に上る日程が、所用のために、数日後になったことは、前回記した通りです。この、峠越えに挑んだ日程の選択は、本当に、偶然の賜物です。

 

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※峠から望む富士山。

 

 峠から先に進むと、平坦な道が少し続いて、今度は下り道に入ります。

 この辺りには、先に紹介した、山部赤人の有名な和歌の石碑があったように思います。

 

  田子ノ浦に うち出でてみれば 

   白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

 

 この歌は、実際にこの辺りで詠まれたのかどうかは分かりませんが、富士山を望む雄大な景観を、わずか何文字かで表現する和歌の凄さに、感嘆するばかりです。

 

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 展望台

 緩やかに下りながら、峠の道を進んでいくと、その先に、峠の展望台がありました。この位置からの景観は、さすがに素晴らしいとしか言いようがありません。

 自然の景色は、先の峠が一番ですが、展望台からの光景は、眼下に高速道路や人工の施設などが織り込まれた、現代の眺望です。

 

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※展望台(左上)と、そこからの景観。

 

 展望台には、何人かの観光客の姿がありました。今辿ってきた道の途上で、私たち以外は、僅か一人だったはず。多くの人は、反対側からここに来られた様子です。

 それにしても軽装で、よくここまで来れたもの、と思っていたら、それもそのはず。このすぐ先には、展望台の駐車場が整備され、そこまでは、車で行くこともできるのです。

 

 いつまでも眺めていたい絶景を後にして、私たちは、由比の宿場に向かいます。