旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ[東海道]66・・・江尻宿から興津宿へ

 駿河湾

 

 清水から、沼津市伊豆半島のつけ根までは、弓なりに湾曲した海岸線が続きます。この辺りは、駿河湾が奥に食い込み、海面が、陸地の懐に抱き込まれたような地形です。湾内は、深い水深が特徴で、深海魚など、珍しい魚介類も数多く見られます。

 街道は、この先しばらく、駿河湾を右に見ながら、湾の奥へと向かいます。次第に平地は狭くなり、辺りの様子は、市街地から郊外の景色へと移ります。往時の面影を色濃く残す建物も現れて、街道の空気感が漂ってくる道筋です。

 

 

 江尻宿

 稚児橋を渡った後、一筋先を右折すると、清水銀座と呼ばれる通りに入ります。街並みは、少し寂しい雰囲気ですが、その日は、商店街の休業日だったのかも知れません。

 道路や歩道は美しく整備され、休日には、多くの人で賑わいそうなところです。この銀座通りが、江尻宿の中心地。今は、市街地整備が進んでいて、宿場町を彷彿とさせる建物などはありません。

 

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※清水銀座。

 銀座通りの途中には、立派な宿場町の説明板がありました。ここに記載された説明は、江尻の歴史や宿場の様子が簡潔に記されていて、興味深い内容です。参考までに、その内容の一部を紹介したいと思います。

 

 「・・・今川氏の頃からこの江尻は三日市場として栄え、永禄12年(1569)武田信玄が江尻城(小芝城)を築くことにより、江尻は城下町となり職人の町が発達した。

 慶長6年(1601)徳川家康は、東海道53次を定めるにあたり、それまで、今の北街道*1が主要街道であったものをあらため、銀座通りを通すこととし、この地を江尻宿とした。

 慶長12年(1607)巴川に初めて稚児橋が架けられ、交通が便利になり、江尻宿は上町(魚町)中町(仲町)下町(志茂町)の宿通りを中心に、西は入江の木戸、東は伝馬町、・・・辻村の木戸まで、長さおよそ2Kmであった。

 宿には、・・・本陣3軒それに準じる脇本陣3軒と、一般の旅籠屋が50軒程たち並び、人々の往来で栄えていた。」

 

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※江尻宿の説明板。

 

 往時の喧騒が聞こえてきそうな説明文。宿場町の繁栄ぶりは、いかばかりだったのかと、空想しながら、銀座通りを歩きます。

 街道は、銀座の途中で左折して、そこから北方向に向かいます。この筋は、かつての伝馬町の通りです。民家やお店などが、不統一に並んでいて、今は、雑然とした印象のところです。

 

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※かつての伝馬町の通り。

 JR清水駅

 伝馬町から少し進むと、江尻東の交差点に至ります。街道は、この先も、真っすぐに続くのですが、私たちの行程は、この日はここで終了です。交差点を右折して、JR清水駅方面に向かいます。

 この日は、静岡の丸子宿を出たところから、江尻宿まで、およそ20Kmの道のりを歩くことになりました。

 

 清水駅では、改札に上がる階段に描かれた、幾つかの絵に、心が和んだものでした。今や、”ちびまる子ちゃん”と”清水エスパルス”は、清水の街の広告塔。この街を訪れる人々に、強い印象を与えます。

 

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清水駅の改札に上がる階段。

 

 江尻宿の境へ

 清水の駅近くで宿をとり、次の日は、江尻東交差点から再び街道歩きを続けます。

 この先の、本郷や辻村の辺りを歩いていると、格子戸や格子の窓に囲まれた、由緒ある木造家屋がありました。

 かつての宿場町は、この辺りまで。街道は、次の宿場の興津に向けて、緩やかに弧を描くようにつながります。

 

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※江尻宿の東(北)のはずれ。

 細井の松原

 江尻宿の街道は、主要道路の一筋西の通りです。主要道路は、元の国道1号線。今では、1号線の主流の道は、自動車専用道路の高架の道で、市街地の東の辺りを通っています。

 街道は、次第に元の国道に接近し、やがて、そこに合流します。2つの道の合流点には、1本のほっそりとした松の姿が見られます。この松は、細井の松原の名残の松。かつてこの沿道に植えられていた、松の並木の名残です。*2

 

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※左、街道が国道と合流する辺り。右、細井の松原の松。

 街道は、この先、国道1号線の歩道に沿って、北東方向に向かいます。右には、家並みの隙間から、JR東海道本線も見ることができますが、かつては、渚が見られる、松原が続いていていたことでしょう。

 

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※元の国道1号線。

 興津へ

 道は次第に、山の裾に近づきます。この先は、左に迫る山並みと、右に続く海岸線に挟まれた、僅かな隙間の平地の中を歩きます。

 やがて、道は、やや右方向にカーブを描いていきますが、そのすぐ左手に、山の緑が迫ります。

 

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※山が迫る道。

 

 集落の道

 国道が、緩やかなカーブを終えた先で、街道は、右方向の旧道に入ります。旧道は、古くからの集落の様相で、木造の古い民家が軒を連ねて並びます。

 JR東海道本線の踏切を越え、ゆったりと弧を描く道を進みます。やがて、道は左に折れて、緩やかな上りの坂道へ。その先で、小さな川を越えた後、再び国道と合流です。

 国道と合流する直前の橋の上には、新しい国道1号線の高架の道が、頭上を覆うように通っています。この高架道路は、静清バイパスと呼ばれていて、静岡と富士方面とを結んでいる、自動車専用道路です。

 

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※左、興津に向かう集落の道。右、再び国道と合流します。

 国道と合流した街道は、しばらく、国道の歩道を進み、17番興津宿(おきつじゅく)に近づきます。

 

*1:東海道は、日本平の北の裾野を通過していますが、「北街道」は、静岡の北に広がる山地に近い部分を通過して、静岡と清水を結んでいます。

*2:ただ、この松は、往時の木ではありません。後に植樹されたものだそうです。