旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

歩き旅のスケッチ27・・・中山道、塩名田宿から追分宿へ(後編)

 上り坂が続く中山道

 

 塩名田宿あたりから、少しずつ上り坂となってきた街道は、小田井宿から先、次第に勾配を増していきます。どこまでも続く坂道は、体力を消耗させ、気力を萎えさせます。

 延々と続く急な坂道。その先にある追分宿を目指します。

 

 21番小田井宿(おたいじゅく)

 小田井宿は、久しぶりに宿場町の雰囲気が感じられるところです。町並みは、往時の様子が偲ばれる建物が並び、道路際には水路も整備されています。

 この宿場は、高札場跡に建てられた宿場の案内看板に、「本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒」と記されているように、小さな宿場町だった様子です。案内板には、皇女和宮の記載もありました。皇女一行は、千曲川の手前、八幡宿に宿をとった後、ここで昼食休憩したとのこと。小さな宿場ということもあり、その対応は大変な負担だったことでしょう。

  

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※左、小田井の宿場。右、高札場跡に建てられている案内板。

 御代田(みよた)

 小田井の宿場は、本当に小さなところです。あっという間に宿場から離れると、見慣れた普通の集落が続きます。

 街道は、徐々に急な坂道に。真っすぐに延びていくその坂道の先には、きっと平坦な道がある、と、信じながら進みます。

 途中、ちょっとした市街地のような街中に入ると、しなの鉄道の軌道が横たわります。この辺りは、御代田の町。しなの鉄道御代田駅のすぐそばです。おしゃれな店などもあって、時間帯によっては、賑わう街の様子です。

 街道は、しなの鉄道の軌道下を潜り抜け、その先も、さらに坂道が続きます。民家は次第にまばらになり、枯葉を落とした木々を見ながら進みます。坂道の終わりを期待して、少しずつ歩みを重ねても、平坦な道を期待した坂道の先には、やはり同じきつさの坂道が待ち構えます。

 

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 小田井宿から御代田への街道風景。

 

 追分宿

 何回となく、坂道の終わりを期待して、その都度裏切られつつ追分宿を目指します。次第に、林間の道に変わっていくと、両脇に住宅地が広がります。この辺りは、西軽井沢のお洒落な別荘地。一般の住宅も多いようですが、別荘とおぼしき建物もたくさん目に止まります。

 憧れと羨望の気持ちで歩いていると、時間の長さの感じ方も、少しは和らぐ様子です。

 追分宿が近づくと、今度は、リゾートホテルなのか、企業の保養所なのか、それこそ高級そうな施設も現れます。

 

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※西軽井沢を追分宿方面に向かう坂道。

 

 追分宿

 西軽井沢の坂道を延々と上り続け、ようやく、勾配が緩やかになってくると、雑木林のようなところに行き着きます。少しの間、車がほとんど通らない道を歩いていると、その先に渋滞している道路の交差点。この道が、軽井沢を通り抜け、碓氷峠を越えて群馬に続く主要な道路の国道18号です。

 国道の少し手前には、雑木林の中に不思議な庭のような場所がありました。そこで見つけたのは、中山道日本橋から京の都までの、街道の見どころを紹介するミニチュアの散策路。この近くには、中山道の資料館などもあるようです。

 

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※ミニチュアの散策路。

 

 追分

 69次の道と名付けられた、ミニチュアの散策路を過ぎると、国道18号の交差点。そのすぐ先に、追分の常夜灯などが残る分去れ(わかされ)です。ここは、北国街道と中山道の分岐点。追分宿の名前の由来は、この追分からなのでしょうか。

 そもそも、追分は、街道の分岐点。中山道を歩いていると、あちらこちらで追分が出てきます。それでも、地名に”追分”がつくところは、それほど多くはありません。その中で、この地名を冠する追分宿は、重要な場所だったのかも知れません。*1

 

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※北国街道との追分。「分去れの碑」の道標もあります。

 

 20番追分宿(おいわけじゅく)

 追分を左手に見て少し進むと、追分宿に到着です。交通量の多い国道18号を横切って、街道は斜め左に向かいます。宿場町の入口には、火の見櫓のような建物が。奥に続く道筋には、松などの樹木も見受けられ、中山道の趣を残しています。

 

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 追分宿の入口。

 

 追分宿は、宿場の面影を造り出そうと、道路などに意匠が施されています。今は、往時の面影はほとんど残ってはいませんが、ここが宿場町であったことだけは、伝えなければならないとの思いが伝わるようなところです。

 気候の良い時期には、宿場町や分去れを訪ねる観光客も多いのでしょうか。お洒落な喫茶店やお店なども幾つかあって、軽井沢が近づいてきたことが僅かに感じられる町でした。

 街道は、緩やかに右カーブを描きながらも、ほぼ真っ直ぐに延びていています。宿場の中ほどには、堀辰雄氏の文学記念館がありました。*2また、宿場町の後半には、追分宿郷土館などもあり、その先には、一里塚が静かに佇んでいます。

 

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※軽井沢宿の様子。中央は、追分宿郷土館がある追分公園前。右端は一里塚。

 

 追分の一里塚を出ると、街道は国道と合流します。そして、次の宿場、沓掛宿へと向かいます。

 私たちの歩き旅は、この日はここまで。塩名田宿から上り通しに、15Kmの行程を刻むことができました。

 

*1:内田康夫氏の「追分殺人事件」では、幾つかの追分が登場し、この追分宿もその舞台となっています。

*2:堀辰雄氏の事は、日本史などで習った程度しか知りません。昭和初期の作家で、若くして軽井沢で病死されたとのこと。