旅素描~たびのスケッチ

気ままな旅のブログです。目に写る風景や歴史の跡を描ければと思います。

気まま旅のスケッチ21・・・テオティワカン遺跡(後編)

 ピラミッドの古代遺跡

 

 現在公開されているテオティワカン遺跡は、幅数百メートル、長さ2Kmほどの広大な空間です。この北の端の中央に、月のピラミッドが構え、その正面から南に向けて、”死者の道”と呼ばれる、広々とした道路が真っ直ぐに遺跡を貫通しています。

 紀元前に築かれて、8世紀頃、姿を消したと言われている文明の遺構。どんな人々が、どのような営みの中で暮らしていたのでしょうか。

 

 月のピラミッド

 宮殿跡からすぐ北東の方角に、月のピラミッドが構えています。遺跡の北の中央、死者の道の突き当りです。ガイドブックを見ると、高さ42m。真下から見ると、小山がそびえ立っているような大きさです。

 死者の道に面した中央には、幅が20mほどの階段があり、その真ん中に手すりが取り付けられています。このピラミッドは、中腹辺りまで上ることができますが、手すりを持たないと相当危険。急勾配の階段です。

 

f:id:soranokaori:20191210164215j:plain
f:id:soranokaori:20191210164257j:plain

※左、宮殿から月のピラミッドを望む。右、月のピラミッドの階段。

 

 階段を上がったところは、広場のようになっています。ここからは、南に展開する遺跡が一望でき、この場所は、かつて栄えたこの都市にとって、重要な場所だったに違いありません。

 

f:id:soranokaori:20191210164346j:plain

※月のピラミッドから遺跡を一望。左手のピラミッドは、太陽のピラミッド。

 

 エジプトのピラミッドは古墳として知られていますが、ここ、テオティワカンのピラミッドも、同様なのでしょうか。少なくとも、この古代都市は、宗教都市としての性格が強かったらしく、神聖な祭事がピラミッド周辺で行われていたようです。

 

 太陽のピラミッド

 月のピラミッドの中腹から南を見ると、左手に、太陽のピラミッドが望めます。これは、テオティワカン遺跡最大のピラミッド。高さは65mです。

 位置的に、遺跡の中央部の東にあって、太陽が昇る方角です。太陽とピラミッド。天文学的な意味合いとともに、宗教とも深くかかわっていたのでしょう。

 

 月のピラミッドを降りて、死者の道を数百メートル進んだ左手が、その、太陽のピラミッドです。途中には、石造りの遺跡が左右に連なっています。

 

f:id:soranokaori:20191210164508j:plain

※太陽のピラミッド。

 

 太陽のピラミッドは、一段高い位置に設けられた広場を前にして建てられています。月のピラミッドよりも一回り大きく、しかもこちらは、頂上まで上ることが可能です。せっかくの機会。私も頂上目指して石の階段を上って行きました。

 とは言っても、ここは2000mを超える高地です。思ったよりも苦戦して、一気に頂上という訳にはいきません。休憩を重ねながらの挑戦です。

 頂上は、20~30m四方の広さです。かつては、神殿があったらしいのですが、今はぐり石が固められたデコボコの岩場のよう。

 四方を見渡すと、遠方の山や平地を望むことができ、景色は雄大です。

 

f:id:soranokaori:20191210164608j:plain
f:id:soranokaori:20191210164652j:plain

※左、太陽のピラミッドの頂上への階段。右、頂上からの景色。月のピラミッドも見えています。

 

 テオティワカン遺跡のピラミッドは、よく見ると、エジプトのピラミッドとは作り方が違うようです。エジプトは、写真などで見ると、直方体の岩を積み重ねてできているように見えますが、こちらは、上の写真のように、階段以外はぐり石としっくいのようなもので壁が築かれています。

 そのためもあってか、全体の容姿はすっきりと美しく、繊細な幾何学模様のように仕上がっています。

 

 エジプトとメキシコ。どのようなつながりがあって、このようなピラミッドができ上ったのか。謎とロマンが空想の世界を広げます。

 

 路上販売の人々

 遺跡内では、至る所に路上販売の人がいて、見境なく、観光客に声をかけてきます。ある人は、商品が入った籠などを抱えて、またある人は、地面にちょっとした出店を出して、土産物を売りつけてきます。

 販売されている商品は、ほとんどが民芸品。値段は、高いのか安いのか分かりません。

 遺跡には、世界各地から観光客が集まって来ているようで、誰もが商売熱心。気さくに声をかけてきます。ある商人は日本語で、「ほとんど、タダ!」という言葉を、繰り返し私たちに掛けてきて、民芸品を買わそうと迫ってきました。

 

 帰路へ

 太陽のピラミッドを下りて、真っすぐに西に向かうと、中央の出入り口があります。遺跡自体は、さらに南に続いていて、神殿跡や資料館などもあるようですが、私たちはここで終了。中央口から遺跡を離れました。

 遺跡を訪れる観光客は、主にこの中央口から出入りするようです。土産物店も北側よりたくさん並んでいました。

 また、出口では、たくさんの人がたむろしていて、レストランの勧誘をしてきます。出口付近にも、簡易な食堂が幾つか見受けられましたが、遺跡近辺には色々な店があるようです。

 

f:id:soranokaori:20191210164744j:plain

 

 遺跡を離れて帰りのバス停留所を探していると、出口から道路を挟んだ反対側に停留所の看板が見えました。近くにいた人に、メキシコ・シティー方面かと尋ねると、そうだ、とのこと。この停留所は2番のバス停。10分ほど待っただけで、メキシコ・シティー往きのバスがやってきました。

 

 帰りのバスは、結構たくさんの人が乗車していました。また、途中の停留所からも多くの人が乗り込んできて、座席は満杯。立って乗車する人も出てくる始末です。

 また、途中の停留所では、重装備の警察官が2~3人乗り込んできて、ビデオで乗客を写しています。最初は、何のことだか分かりませんでしたが、セキュリティーのためのようです。地元の人たちが利用する通常のバスは、安全面で問題があるのでしょう。ビデオを撮ることが、犯罪の抑止力になっているのかも知れません。

 

 バスが、自動車専用用道路に入ると、今度は前の方の乗客がギターを弾き始めました。そして、”コンドルは飛んで行く”を、流暢なスペイン語の歌で奏でます。

 異国の地。色んな人がいるものだと思っていると、2曲目を歌い終わったその人は、座席を回り、志(こころざし)のお願いです。

 帰りのバスでは、色んな事が経験でき、往きと同様、楽しいバス旅となりました。

 

 バスの薦め

 テオティワカン遺跡を訪れるには、日本語の現地ツアーは欠かせない、と思っていました。ところが、ツアーを申し込んでも、色んな理由を告げられて、結局参加することが出来ずじまい。やむなく、自力で向かうことにしたのです。

 それでも、結果的には、それが正解。地元のバスで、地元の方と触れ合い、様々な経験ができたこと。さらに、費用は、ホテルからのタクシー代を含めても、1人2000円程度です。

 現地の日本語ガイド付きツアーは、最低でも1人70USドル。地元のバスを使う方が断然お得でお薦めです。