草津宿からの近江路
今回から、再び中山道の歩き旅です。先ずは、近江路から。
「歩き旅のスケッチ1」、で紹介したように、近江の草津宿は、中山道と東海道の結節点です。二つの街道が合流するT字路には、石碑が建てられ、「右、東海道 左、中山道」の案内が。
京の都、三条大橋から江戸に向かうとき、このT字路までが、中山道と東海道が並走する区間です。そして、ここから左方向(実際には真っ直ぐ進みます。東海道方面が右折です。)に向かうと中山道。伊吹山の麓の宿場、柏原宿(かしわばらじゅく)を過ぎ、寝物語の里として知られる長久寺の村まで、近江路は続きます。
草津宿を出発
草津宿で東海道と別れ、中山道方面へ。今は、この道は、旧の草津川の下を通り抜け*1、草津の商店街に入ります。
67番、守山宿へ
草津の商店街を抜けると、左手にはJR草津駅。中山道は、さらに、駅前の商業地や住宅地の中を通過して、北東方向に延びていきます。やがて、JR東海道本線を左に見ながら進み、今度は線路の下をくぐり抜けます。そのあとは、右手に鉄道を見るように、少し蛇行しながら住宅地の中を通り抜けて行きます。
この辺りは、歩道はありません。道幅は狭く、しかも車がそこそこ通るので、注意が必要です。
※守山宿に向かう。
しばらくすると、道幅は少し広がっていきます。JR栗東駅の案内を越えると、右手には大宝神社が。そして、守山の市内へと入っていきます。
※大宝神社前。
守山宿
守山に入ると、次第に街道の様子は宿場町の趣に変わっていきます。この宿場は街の中にあり、多くが住宅などとなっていますが、それでも、何とか宿場の風情を醸し出そうと、色々な工夫が凝らされています。
街道沿いには、行灯や石造りの道案内が配置されていますし、お店や飲食店などでは、格子窓や暖簾が情緒を誘います。
中山道は、宿場の中央辺りで右方向に折れ曲がり、守山の街の中をさらに先へと延びて行きます。
守山宿からは、歩いて10分ほどでJR守山駅に出られます。近江路は、JRやその他の公共交通機関を利用して、京阪神方面から、日帰りの行程を組むことができるので、大変便利な区間です。
※守山宿。
守山宿から野洲へ
守山宿を出てしばらく進むと、野洲川です。右手に、東海道本線の鉄橋を見ながら大きな川を渡ります。野洲の町に入っても、守山などと同じように、中山道沿いには住宅がびっしりと張り付いています。
それでも、街道は右に左に少しづつ屈曲しながら延びて行き、昔の道筋がよく残っているものだ、と感心するばかりです。
野洲は、宿場ではありませんが、市街地には住宅が密集し、何か宿場のような雰囲気も持ち合わせています。行事神社を過ぎると、すぐに朝鮮人街道との分岐の案内が。右方向に進むと中山道で、左手が朝鮮人街道です。*2
中山道は、その後、住宅地の中をゆっくりと湾曲しながら続いていきます。
※左、行事神社辺り。右、野洲の市街地。
野洲から武佐宿へ
野洲の市街地を過ぎて、東海道新幹線の高架を潜り抜けると、家構えが少しずつ変化していきます。道路沿いには、畑なども現れてきました。右手には森が迫り、”桜生史跡公園”の案内看板が見えました。読み方に迷っていると、下にローマ字表記が書いてあり、”さくらばさま”と読むようです。この辺りは、古墳などの史跡が残る地域で、桜の木がたくさん植えられています。春になると、桜の花が咲き誇る、花見どころの様子です。
中山道はその後、国道8号と重なり、あるいは、旧道に戻りと、交互に繰り返しながら近江八幡方面に続いています。途中、平家終焉の地などの看板があり、そこを過ぎると緩やかな坂道に。坂を上り切ったところには、”かがみの里・道の駅”がありました。
※左、桜生の入口付近。右、道の駅。
66番武佐宿へ
野洲を過ぎると、再び、国道と旧道を交互に進みます。途中、日野川を挟むところでは、川の土手道などを歩くことになり、地図とGPSでしっかりとルートを確認することが重要です。近江八幡の六枚橋では、一旦旧道にはいりますが、その後は再び国道へ。工場などが並ぶ国道沿いの歩道を歩きます。
そして、西宿の信号で旧道に。この交差点辺りには、武佐宿への案内看板があります。案内に従って町の中に進んで行くと、間もなく近江鉄道の踏切が。これをわたって右折すると、右手が近江鉄道武佐駅です。
武佐駅は、JR近江八幡駅と連結されていて、近江八幡駅の次の駅。草津宿と守山宿の間は、わずか5Kmですが、守山宿と武佐宿の間は16Kmの長丁場です。私たちは、武佐駅を利用して、歩き旅の行程を区切りました。
※左、武佐への入口。右、武佐駅(右側)と宿場入口。