特色ある2つの霊場
西条市にある、次の2か所の霊場は、ある面で特色がある札所です。
62番宝寿寺は、数年前、霊場会との関係が正常ではなかった時があり、巡拝者の戸惑いを誘うことになりました。もう一つの、61番香園寺は、その建物が特徴的。一見、霊場とは思えないお堂の姿は、ある種の不思議さを感じます。
62番宝寿寺へ
吉祥寺から宝寿寺(ほうじゅじ)へは、ものの5分の道のりです。片側1車線の国道11号を西に向かってしばらく走ると、間もなく札所を示す標識が現れます。そこを右折して、すぐ右手が駐車場。そして、駐車場の向かい側が宝寿寺です。
この札所の近くには、JR予讃線の軌道があって、伊予小松駅はすぐそこです。
※宝寿寺の境内。
宝寿寺の入口には、山門や仁王門はありません。以前、「霊場には、ほぼ例外なく仁王門があるものです」と記した記憶がありますが、宝寿寺は、例外です。
代わって、この寺院の境内への入口には、”一国一宮”と印された大きな標石がありました。宝寿寺は、伊予の国の一之宮に設けられた仏教施設が起源ということで、その名残が標石です。
境内は、四国霊場の中では、最も狭い部類に属します。正面左手すぐのところに納経所があり、右手に本堂と大師堂が並びます。奥には、旧本堂があるようですが、概ね境内の建物はその程度。
宝寿寺は、一時期は廃寺になるなど、様々な変遷を辿ってきたようで、苦難が偲ばれる古刹です。
※現在の本堂。
近年の苦難
数年前、私たちが宝寿寺を訪れようとしていた時、61番香園寺のところで、「宝寿寺の参拝と納経は、香園寺第二駐車場へ」という案内を受けました。
それまでに、僅かながら情報を得ていたために、驚きはしませんでしたが、少しの戸惑いはありました。
詳しくは分かりませんが、当時、宝寿寺と四国八十八か所の霊場会との関係がギクシャクとしていたようで、霊場会は、臨時的に札所の位置を移されたということです。
それにしても、寺院のないところでのお参りはどうするものかということと、折角の巡礼で、1か寺を飛ばしてしまう罪悪感を密かに抱いたものでした。
当時の様子は、下の写真にもあるように、香園寺の駐車場の一角にプレハブ小屋が建っていて、そこに仮の本尊が安置され、お参りするという仕組みです。納経も、そのプレハブで対応いただき、かたち上は、巡拝が完結です。
ただ、宝寿寺そのものに参拝しないということに後ろ髪が引かれるようで、当時私たちは、わざわざ宝寿寺前に足を運び、標石の前から、手を合わさせていただいた次第です。
※左、数年前の宝寿寺の仮建物。茶色の屋根の下で参拝しました。右、現在の状況。駐車場のアスファルトが一部剥がれていて、プレハブの基礎の跡がうかがえます。
この宝寿寺も、2019年12月から、通常参拝を再開されたということで、今回、私たちは、ようやく本物のお寺で巡拝を果たすことができました。
61番香園寺へ
宝寿寺から香園寺(こうおんじ)へは、5分程度で向かえます。再び国道11号を西に進んで、直ぐのところの交差点を左折です。この交差点の一角には、三嶋神社の立派な鳥居が構えていて、少し厳かな風景です。
その後、道路を右折をして、さらに西を目指して行くと、その突き当りが香園寺。寺院の敷地の左手前に、大きな駐車場がありました。
香園寺の境内は、広場がある公園のようなところです。この霊場の本堂は、文化ホールのような建物の中にあるために、初めて訪れた時は不思議な気分になりました。
下の写真の、石段のさらに先に見える建物がそれで、1階正面には、賽銭箱が置かれていて、そこでもお参りができたと思います。ただ、本来の参拝は、向かって右側面の階段を上がるようにとの案内があり、それに従い、2階へと上がります。
※境内の様子。
2階には、それこそ、ホールに入る入口があり、左右には、下足箱が並びます。
ここで、靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて奥へと進むと、そこはまさしくお堂の中。左手に、ずらりと椅子が並び、右手に神々しい本尊が耀きます。黄金の大日如来は、まさしく密教の象徴です。
椅子の数は、数百もあるのでしょうか。何せ、その雰囲気は圧巻です。
私たちは、本堂正面で参拝し、その後、本尊の右におられる、大師像の前に移ります。ここでは、ひとつのお堂の空間に、本堂と大師堂が共存しています。
※左、本堂の建物。この建物の右側面から2階に上がります。右、2階の入口。
香園寺の納経所は、境内の左手です。プレハブのような事務所があって、そこで御朱印を頂きます。
そういえば、香園寺もまた、山門や仁王門はありません。建物すべてが一新された近代的な霊場も、今後の末永い信仰を支えていくには、きっと必要なことでしょう。